国ほめ
やまとは くにの まほろば
たたなづく あおがき
やまごもれる やまとし うるはし
― 「古事記」 ―
今日は塾がお休み。
朝なんとなくテレビをつけたら高校野球をやっていた。
長野の佐久長聖高校対山梨の東海大甲府高校。
試合は佐久長聖が東海大甲府に勝った。
試合が終わると佐久長聖の選手たちがバックスクリーンに向かって整列し、校歌が流れた。
例によって私は音を消したテレビを見ていたのでメロディはわからないのだが、そこに歌詞が映し出された。
作詞 草野心平 とある。
まっ北に 浅間 火の山
西南に 八つの群山(むらやま)
千曲川 うねうねうねる
佐久の地は 美(うるわ)しきかな
校歌はまだ続くのだが、わたしは
いきなり まっ北 だなんて、なーるほど、これはいかにもすばらしく草野心平だなあ!
うねうねうねる なんてのを平気で書くのも相当の力技だ!
と感心しながらその歌詞を眺めていた。
どこで吠えてもライオンはライオンなのだな。
それにしても、と私は思った。
これはなんたる「国ほめ」の歌であろう!
まるでこれは古事記に載っている倭建命(ヤマトタケルノミコト)の「国ほめ」の歌と同じではないか。
冒頭の引用歌とこれをもう一度並べて読んでごらんなさい。
まったくもってこれはヤマトタケルの直系ともいうべき歌詞ではないか!
しかし、考えてみれば、今まで気付かずにいたが、実は校歌というのはみなそうだったのだな。
世にあるあらゆる校歌は多かれ少なかれ記紀・万葉の時代にさかのぼる「国ほめ歌」の系譜を脈々と継いでいるのだ。
そもそも校歌というのは、まず、その地をことほぐ言葉を地霊にささげる事から始まる。
あるいは、そうやって始めなければならない、と、人は思うらしい。
思えば私が卒業した学校の
美しき暁や
ふたかたに 水わかれ
衢(ちまた)の音(おと) 響(とよ)み来る (高校)
にしても
日輪高き 野田の丘
浮かべる雲を 仰ぎつつ (中学校)
にしても
豊かなる 医王のみどり (小学校)
にしても、どれも校歌における詞の構造はみな同じなのだ。
まずは、その地をほめる。
そしてその恵みが己に届いていることをうたう。
夏の高校野球で校歌が歌われる習慣も
「同校の栄誉をたたえ」
とは言いながら、実はその高校のある町や市の「国ほめ」としてなされているのかもしれない。
ヤマトタケルが歌ったのが望郷の歌であったように、ふるさとを離れた者がそれを聞けば、おなじく、「よきところとしてのふるさと」を想起させるものとして聞こえるのかもしれない。
(そうでもないか。)
それにしても、今こうやって書いてみると、折口信夫が書いた高校の校歌は、その言葉の格調高さと音の響きのうつくしさにおいて、断然たるものがあることに気付く。
実に実に、この人もまた、すばらしくしなやかなライオンだったのだ。
(「うつしき あかつきや」と一行目に歌いだされたカ行とタ行の音の響きの連鎖が、続く二行目において正しく変奏され、それが三行目に到ってタ行の連打へと移り変わっていくさまを見よ!
かくそうとしても隠せぬ獅子の爪というものはあるのだ。)
それはともかく、いきなり
うつしき あかつきや
なんて歌い出す校歌なぞ、凡手にはとても書けないものだ。
とはいえ、そのおかげなのかどうか、その歌いにくさも、日本に冠たる校歌、ではあったのだが…。
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