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朗読

 

 夜、墨堤を歩む

 

 ― 永井荷風 『断腸亭日乗』―

 

 

先週からNHK第二放送朝9時45分からの「朗読の時間」は永井荷風の『濹東綺譚』を放送している。
これが、なかなか、いい。

実は、昔、私が高校1年か2年の頃、やっぱりラジオで(「ラジオ文芸劇場」とかいう題名だったろうか)同じく『濹東綺譚』を聴いたことがある。
友人の芦原君の部屋で聴いたのだ。

芦原君は私の中学時代の同級生で、高校は違う高校(司氏と同じ高校)へ進んだのだが、高校に入ってからも毎週日曜の休みには二人で近くの山に昆虫採集に出かけ、帰りにはいつも彼の部屋で採ってきた虫の整理をしたあと、音楽を聴いたり、画集を眺めたり、東京の大学に行った彼の兄の残していった本を読んだりしていた。
「ラジオ文芸劇場」はたぶん夜の8時か9時頃から45分か1時間の放送だったと思うが、これも二人ほとんど欠かさず聴いていた。

そこで流される放送は作品の朗読ではなく、内外のいわゆる「名作文学」と呼ばれるような文学作品を時間内に終わるように脚色したラジオドラマだった。
欠かさず聴いていたくらいだから、そこで聴いたことによって触発されて読んだ小説も数知れずあるはずなのだが、それがどんな小説だったかは、ほとんどはまるで覚えていない。
覚えているのはこの『濹東綺譚』だけである。

その脚本はただ『濹東綺譚』という小説を短くしたものではなかった。
小説と、それが書かれた当時の荷風の日記である『断腸亭日乗』の記事を組み合わせたふしぎな構成だった。
それがいたく私たちの心を刺激したらしい。

『濹東綺譚』は50過ぎの小説家が、新たな小説を書くための取材に隅田川の東の私娼窟のあった玉の井に通う話である。
そんなものが当時15,6歳だった高校生の私たちにわかろうはずもない。
わかろうはずもないのだけれど、聴き終わった私たちは二人とも、なんだかとてつもなくすごいものを聴いたような気がしたのだ。
だからこそ、すぐさま二人、そのすごさのなんであるかを確かめたくてその小説を読んでみたのだが、読んでみても、それはあまりよくはわからなかった。
「にもかかわらず」なのだろうか、それとも、「だからこそ」と言うべきなのだろうか、ラジオドラマの中で繰り返し流れた

 夜、墨堤を歩む。

という『断腸亭日乗』の一節を読む年寄りの乾いた淡々とした声が不思議な呪文のように今でも耳に残っているのだ。
そして、今、毎朝、その朗読を聴いている私の耳の奥には、やっぱりそれが通奏低音のように響いている。

わたしも、どうやら『濹東綺譚』のほんとうのすごさがわかる年になったらしいな、などと、今日も寝ころんで目をつぶって朗読を聞いていたら、突然遠くでセミが鳴きはじめた。
今年聞く初めての蝉である。
それも、なにがしかの情趣というものであろうか。
今日もじりじりと暑い日である。

 

 

 


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