ゴールとコート
あれ(サッカーというゲーム)は国境のかたちを刻一刻書き換えるヨーロッパ人の体感そのもののように感じられる
― 赤坂真理 「愛と暴力の戦後とその後」―
サッカーのピッチの中央にはセンターラインが引かれているが、それはけっしてそれぞれの陣地を分ける線ではない。
あれは、キックオフのときにのみ用をなす線であって、ひとたびボールが動きはじめると、選手たちはそんな線に何らの顧慮を払うこともなくボールの移動にしたがって敵味方入り乱れる。
仮に自分たちの「陣地」と呼ぶべきものがあるとすれば、それは、バックスの最終ラインとゴールと間の地域であって、もしそこに相手チームの選手が早まって飛び込めば、それはオフサイドと指摘されて、守備側にフリーキックが与えられる。
それぞれに色分けされたユニフォームの両チームの選手が混在し、ぶつかり合い、ボールを奪い合う「中間地帯」と両チームの「陣地」の空間はプレーにしたがって絶えず変容する。
ちなみに今回のワールドカップで優勝したドイツチームの整然と横一列に上下するその最終ラインは実に美しいものだった。
ところで、ボールゲームの中には、中央の線がきわめて重要な意味を持っているものもある。
それは、バレーボールであったり、テニスであったりする。
それらのコートの中央には、ラインどころかネットまで張られて彼我の陣地は截然と分けられている。
その結果、これらの競技においては、サッカーやホッケー、あるいはバスケットボールといったゲームとはちがって、競技者たちは原則として相手選手にけっして触れることはない。
まして、ぶつかり合うことなどありえないことになる。
そして選手たちは自分の陣地に入り込んだボール、あるいはシャトル(バドミントン)といったものを、あたかもそれが厄災でもあるかのように、相手の陣地に打ち返す。
かつて、バレーボールは「排球」と呼ばれたこともあったが、まさに、自分のところに来た球を排除することが、バレーボールに限らず、これらネットまん中に立てた競技の基本コンセプトであろう。
ところで、この「排除」を基本とする球技が全般的に「女のスポーツ」であるような気がするのは、私だけなのだろうか。
そこには多分に、幼い頃東京オリンピックにおいて「東洋の魔女」を目の当たりにしたという年代的な事情もあるのかもしれないが、どうも私は男子のバレーボールというものに違和感を抱いてしまうのだ。
きしない。
たとえば、世界一となった「なでしこジャパン」と呼ばれる女子サッカーが、そのプレーの質においては、男子のそれと比べて数段下のレベルにあることはすぐにわかる。
一方、テニス、卓球、バドミントン、あるいはバレーボールにおいては、球速や力強さにおいては男子に劣るかもしれないが、むしろそのことによって男子よりもラリーが続く点から言えば、むしろテニスならテニスの、競技としてのおもしろさの本質を女子の方が引き出しうるものとなっているのではないだろうか。
(などということを書く気はなかったのだが)
はてさて、赤坂真理氏はサッカーを
国境のかたちを刻一刻書き換えるヨーロッパ人の体感そのもののように感じられる
と書いている。
確かに、世界史を勉強するとき、その時々の「世界史地図」なしにはなにも見えてこない。
国境は数十年たてばまるでちがったものになっている。
それどころか、前ページにあった国が消えてしまっているのが普通だったりする。
国境とは常に変わり得るものなのだ。
一方日本はどうだ。
日本の「国境」は常に不変だ。
われわれの列島の海岸線の内側が自国の領土であることを疑う日本人はいない。
目に見える明確な国境を持つ国はそうたくさんあるものではない。
そこに生じる心性は、自分の対岸にある「ゴール」を目指すことより、むしろ、外からやって来る「厄災」から自分たちの「コート」を守ることだ。
そういえば、江戸の後期、「外国船打ち払い令」というものが出されたことがあったが、その可否はともかく、言ってみれば、それは一部の先覚者を除けば当時の日本人にとってごく自然なことだったような気がする。
「専守防衛」という態度はなにも外国から押し付けられたものではない。
この「やってきた《厄災》を排除しよう」という一種バレーボール的態度は、むしろ、地勢的に、われわれの中に深く根ざしたものであるのではなかろうか。
はてさて、国会の質疑を聞いていると、どうやらわれらが総理は私たちの「国境」をホルムズ海峡にまで拡大したいらしい。
そこに撒かれた機雷の除去できるようにしたいらしい。
サッカーでは、伸びすぎた前線と最終ラインの間は、相手に自由に行動するスペースを与え、むしろ、自陣への攻撃の危険を高めることになるのだが。
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