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『愛と暴力の戦後とその後』

 

 日本の幽霊には足がありません。しかしヨーロッパの幽霊には足があります。ローレンス・オリビエ主演のハムレットの映画でも、ズシン、ズシンとにぶい足音が聞こえ、父の幽霊が近づいてきます。

 

― 伊藤光晴 「日本の伏流」 ―

 

 

ひさしぶりに街に出た。
暑い日だった。
本を買った。

あんまり暑いのでコーヒー屋に入った。
買ってきた本を開くと、その一行目にこう書いてあった。

 

人が電気で死ぬところを見たことがある。

すごい音がするのだ。晴れた空を引き裂き、その圧で聴く者の体内をも打つような。

 

止まらなくなった。
1時前に入った店を本を読み終えて出るとき、時計はとうに4時を回っていた。

凄い本だった。
ほとんど2ページに一回、私は心の中で「なるほどなあ!」とうなっていた。
あるいは「そうだったのか!」と叫んでいた。
ということは、その本を読みながら、私は声にならない唸りと叫びを、心の中でほとんどずっと、上げ続けていたということだ。
凄い本だった。

日本のことが書いてある本だった。
日本という、自分たちが生まれ暮らしているわけのわからない国の、そのわけのわからなさの来たるゆえんを、問うた本だった。
出来合いの言葉など使わない。
それを使ってわかったふうなことは書かない。
ある事柄に対して自分のからだとこころが反応したその具体にもとづいて考えてゆく。
そこから、謙虚に、日本という、このわけのわからない国を抽象してゆく。
わからないことをわからないと素直に首を傾げ、ただただ自分の持ちあわせている感覚と言葉だけで、日本という国の Constitution(大文字のそれは《憲法》という意味であり小文字のそれは《成り立ち》という意味である)を考えてゆく。

読みながら呆然とする。
「そうだったのか」と思う。
なんとまあ、すごい人だ、と思う。
自分の頭で問い続け考え続ける人に私は感動する。

著者の赤坂真理氏は私などより10歳ばかり年下である。
だから、見てきた子どもの頃の風景が10年ずれている。
けれども、それは確かに昭和の風景である。
戦後の昭和の風景である。
彼女の問うたものは、その戦後から、高度成長を経て、バブルにいたり、その破裂をもって平成と名を変えながら、にもかかわらず脈々とその水脈をつなぎ、今も現にここにある日本という国の近代である。

読みながら、ほとんど絶望する。
絶望するが、けれども、《足のない日本の幽霊》を、こうやって「自分の頭で」問い、考える人がいることに私は鼓舞される。

私もまた、そうせねばと思う。
そうありたいと思う。

赤坂真理著 『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書 840円)

必読である。

 

 


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