古代ギリシア文字
(ロダンの「考える人」は)これが西洋の思索する姿の典型といふものだらうか。ほのぼのと匂ふがごとき瞑想の面影はどこにも見られぬ。峻厳な論理を追求して身も世もあらぬ苦しみの態だ。しかし飛鳥の思惟像には思惟することによる受難の表情は微塵もない。豊頬をもつ美少女のごとく、口辺には微笑すら浮かべてゐる。
― 亀井勝一郎 「私の美術遍歴」―
「アルカイック」という言葉がある。
「古拙」というか、「古風で素朴なさま」というか、そんな風情を指す言葉だ。
普通は「アルカイック・スマイル」と言って、たとえば日本の中宮寺や広隆寺にある飛鳥時代の半跏思惟像をさして、彼らの微笑みにはそれがあると教科書に書いてあったりする。
けれども、彼らの微笑みは、彼らから千年前の古代ギリシアのアルカイック彫刻に見られるそれよりはるかに洗練されたものであって、むしろモナリザの微笑みの方に近く、モナリザのそれよりもはるかに高い精神性を表している。
などということを書きたいのではない。
実は本を読んでいて、下の写真のような文字を見たとき、わけもなく「アルカイック・スマイル」という言葉を思い出しただけのことなのだ。
これを見ると、わざわざ彫刻なんて引っ張って来なくても、ギリシア文字そのものがもうすでに「アルカイック・スマイル」なのではなかろうか、と思えてくる。
ほら、文字そのものが、ほほ笑んでいるでしょ?
どこがどう、何が何、というわけではないが、どこか丸みを帯びたその文字といい、その文字の上打たれた点も、点、というよりは、なんだか、ぴょろり、と生えたみたいだし、そのうえ、それぞれが一つの単語であるはずなのにその中にコンマが打たれたりしてて、いったいこれはなんなんだ、と思わず笑ってしまう。
眺めていると、なんだか、春の通りを歩いていて、保母さんたちに連れられてどこかへ出かける保育園の子どもたちに出合ったときのような気になってくる。
わけもなく、ニコニコしてくる。
ほら、たとえば「畑」なんて文字は、なんだかいかにもたくさん芽が出てるみたいに見えてくるでしょ?
・・・なんて思うのは私だけか。
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