違う
かかる事やある。ただ事にあらず、さるべきもののさとしかなどぞうたがひ侍りし。(中略)。
恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか。
ー 鴨長明 『方丈記』(市古貞次 校注)-
(こんなことがあるのだろうか。ただ事ではない。神か仏が、これではいけないと言っているのかなどと疑ったことでした。
恐ろしいものの中でも本当に恐ろしいものは、ただ地震なのだと思ったことでした。)
テレビで見る東北地方の津波の様、言うべき言葉もない。
首都圏の我々が経験した地震ですら、それはそれはただ事ではないものだったのだが、それすら、幸い、と言いたくなるほどのものだ。
けれども、まだ震源も規模もわからぬまま、うそのように明るい春の午後の日差しの中、ただただ長く続く大きな地の揺れの中に立っていたとき、私が感じていたことは
これは何かが怒っているのだ
という畏れの感覚だった。
それを「大地が」というべきなのか「地球が」と言うべきなのか、あるいは「神が」と言うべきなのかそれはわからないが、ともかくも「ある大きなものが怒っているのだ」と思ってしまったのだ。
それはたぶん 『方丈記』の作者が
さるべきもののさとしか
と書いている「さるべきもの」と同じものだろう。
もちろん私は、その「さるべきもの」が何について怒っているのか明確には言えない。たぶんは長明もそうだったろう。だが、明確には言えないが、自分を含めて今の世の何かがどこか間違っているのではないか、という思いが、「さるべきもの」という意識を呼び起こすのだと思う。
でも、テレビを見ていて全くそんな風には思えなくなった。
そこには身に感じていたそれとは明らかに違う何かがあった。
負けてはいけないのだと思った。
うまくは言えないがそう思った。
元気を出さないといけないんだと思った。
うまく言えないがそう思った。
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