あけてある窓
あけてある窓の淋しき
― 西脇順三郎 『旅人かえらず』―
「月日は百代の過客にして・・・」
「奥の細道」をそう書きはじめたのは芭蕉だが、番号が打たれた四季を幾度もめぐる長短全168編の詩の群れに「旅人かえらず」と名付けたのは西脇順三郎だ。
それらの詩には《淋しさ》あるいは《淋しき》という言葉が頻出する。
引用の詩句はその「45」。
あけてある窓の淋しき
たった一行こう書かれているだけだ。
《あけてある窓》がなぜ《淋し》いのか、それは知らない。
けれども、それを詩人が《淋しき》と言えば、それは淋しい。
それが詩というものなのだ。
わけもなく、「事物がそのようにして在る」ことを言葉でさし示しているものを詩というのだ。
「旅人かえらず」の中で私が一番好きな「158」はこんな詩だ。
旅から旅へもどる
土から土へもどる
この壺をこはせば
永劫のかけらとなる
旅は流れ去る
手を出してくまんとすれば
泡となり夢となる
夢に濡れるこの笠の中に
秋の日のもれる
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