先生、落ちました!
大半の子供が生後五カ月ごろに踏み出す第一歩は、食物とか暖とかいう単なる感覚の喜びを越えて、社会的に認められるという喜びを手に入れることである。この喜びは、生じるとすぐ、どんどん発達していく。子供はみんな、ほめられるのが好きで、しかられるのがきらいだからである。
― ラッセル 「教育論」(安藤貞夫 訳)―
今日は公立高校の前期試験の合格発表の日。
9時過ぎから次々電話がかかって来る。
「先生!落ちました!」
「先生!ダメでした!」
いやはや、声だけは元気なのだが・・・。
というわけで、塾で公立高校を受験した6人のうち、4人が不合格である。
まあ、十日後、後期の入試があって、そこで合格すればいいのだが、それにしても、入試を前期と後期に分けて定員を半分にし、本来ちゃんとその高校に合格できる子どもたちのうちの半分に必ず「不合格」を告げなければならないような入試制度をなぜ千葉県はとっているのか、私には一向わからない。
たとえ一時のものであれ、自分に「不合格」なんて判定を押されるのは、誰だってイヤに決まっている。
ましてや十五の子どもである。
それは、自分の力で手に入れようとしていた
社会的に認められるという喜び
を子どもたちから奪うことではないか。
事あるごとに、深刻そうな顔をして
「子どもたちの《心のケア》が大切です」
なぞと、わけ知り顔に言っておられる大人たちは、このことをどう考えているのであろうか。
午後になってやってきた子どもたちはわりとさばさば勉強をしている。
まあ、中には、グヂグヂ言いたそうな子もいないではないが、そんな子は、テラニシに
「アホか、おまえ!
終わったことをいつまでグダグダ言うとるんじゃあ!」
と言われて、ポカリと頭を叩かれることを知っているので、すくなくともわたしの前ではそんなことは言わない。
この期に及んで、今さら教えることもないし、彼らも黙々と勉強しているので、わたしもいつものようにやってきた夕刊を広げて平然たるふうを装っている。
とりあえず、子どもたちとわたしの春は、今年もどうやら三月までおあずけのようです。
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