S君のこと
昨日の《通信》で私は誤解を招くような書き方をした。まるで全員が志望した公立高校に合格したかのように。
俳句だってそんな風にとられるものだった。
けれども、本当は、昨日の合格発表に漏れた子が一人いたのだ。
去年の春休みの始まる頃、ある方の紹介で私の塾にやって来られたお母さんがいた。私は、その方から塾に入りたい生徒がいるというお話を聞いたときにすでに人数が多すぎるからとお断りしていたのだが、一度会って話だけでも聞いてくださいと懇願されてお会いしたのだった。
話によれば、今度中三になるというその息子さんは私の住んでいる校区からははるか遠く千葉市の中学校に在籍しているのだという。在籍はしているが、通ってはいないのだという。なんでも小学校の6年生ごろからの不登校なのだそうだ。
話を聞いて、大変だろうなあと思った。母親がわらをもすがる思いで私のところに来ていることは痛いほどわかった。
けれど、私にはもう、とても十人以上の生徒をいっぺんに見る気力はない。
「じゃあ、この春休みだけ勉強をみてあげましょう。そこで3年生のはじめの部分の予習をやって、新学期からすーっと学校の授業に入って行けるようにするくらいのことはしてあげます。
でも、それから先は生徒が多いから見られませんよ。
それで、よかったらここに来させてください。
それから 『何か知らないけど、あの先生はとてもこわくて、すこしでも休んだり遅刻したりすると、とてつもなく怒鳴って、すぐに塾をやめさせるそうよ』
ということだけはちゃんと伝えてください。」
そんなわけで、S君というその子ともう一人彼の仲良しのO君という子(この子は学校にちゃんと通っている)が春休みの間、朝の9時からやって来ることになった。二人とも素直なよい子たちだった。英語の第1課と数学の因数分解のはじめくらいまでを教えて春休みが終わった。
その最後の日、二人が言うのだ。
「あのう、僕たち、ずっとこの塾で勉強したいんですけど・・・。」
「そんなこと言ったって、学校が始まったら、おまえらの座るとこがないぞ。O君、おまえはともかく、S君は無理じゃろ。デカすぎる!」
S君はたしかになかなか大きな子なのである。
「そこをなんとか。」
O君が言う。
「なんとか、ってなあ、おまえ。」
そのときS君が言う。
「ぼく、小さくなってます。」
私は笑った。
「でもなあ、おまえら、ほかの塾の方がちゃんと丁寧に教えてもらえるぞ。」
「いえ、こっちの塾の方がいいです。」
「いいです、ってなあ、おまえ。よかないよ、こんなとこ。いいとこなんか、どこにもねーじゃないか。」
「たのしいです。」
「ふー、そうか。わかった。じゃあ、S君。おまえがちゃんと明日から学校に行くんなら見てやる。ただし、サボってるって聞いたら、即クビだからな。それでよかったら小さくなって座っとれ。」
「はい。」
二人はうれしそうに帰って行った。
塾に来るようになった二人はすぐにほかの塾の仲間たちにもとけこんだようだった。(女の子というものはまことにフレンドリ―なものです!)
S君は自転車で30分以上かかるというこんなところに汗をだらだら流しながら毎日やって来ていた。
ところが、やっぱり学校は行けなかったみたいなのだ。はじめは行っていたらしいのだが、次第に休む日が増えたのだという。
と言って、今さら「クビ」、なんてわけにもいかない。S君は実に真面目に勉強する子だったのだ。
「アホか、おまえ。こんな遠いところに真面目に通えるくせに、なんですぐ近くの学校に行けんのじゃ、ばーたれ。
それに、こんなくさった塾に来ていてさえ勉強がわかるようになっとる奴が、学校に行ったらもっとわかるようになるに決まっとるじゃないか。
もったいない!
もっと、自分を大事してやれや。おまえの脳ミソ、もっと鍛えてくださいと泣いとるぞ。」
S君は何も言わずにうなずく。(彼はホントに賢く穏やかで寡黙な子なのだ。)けれど、学校には行けないらしい。
たぶん、彼自身にもなぜ自分が学校に通えないかはうまく言葉にできないのだ。それができるなら遠い昔に彼は学校に通えていたろう。
秋、進路指導が学校で始まったころ、S君のお母さんから相談を受けた。
学校では、今も学校に通えないのだから、仮に全日制の学校に受かっても続かないことになる可能性が高いから通信制の高校にしたらどうかと言われたというのだ。しかし、彼は嫌だと言っている、と。
なるほどな、そうなのか。
多くを語らないS君の心の中がそのとき初めて私はわかったような気がした。
S君は、もう一度まっさらなところから自分をやり直したいんだ。
私は、お母さんに言った。
「全日制を受けさせなさい。落ちるかもしれないけど、通信制なんて、きっと後からだって受け直せますよ。」
私立高校の入試の発表の日、彼から合格の報せを受けたときは本当にうれしかった。
本人やご両親のよろこびはどれほどのものだったかと思う。
けれども、彼はそこで止まるのではなく、その後も皆と同じように真面目に公立高校を目指してがんばった。これは彼の中学校の出欠の状況を見れば内申書に相当のハンデが付いているだけに、かなり大変な挑戦に思えたが彼は淡々としかし確実に力をつけながら勉強に励んでいた。
前期入試は落ちた。
そして後期も。
けれど、合格発表の昨日、そのことを報告に来た彼の顔はどんなに晴れやかだったろう。この休みに父親とスキーに行ってきたお土産だと言って菓子折を手にやって来た彼の顔には本当によい笑顔があった。それは、まちがいなく、やることをやった者だけが持つ笑顔だった。
「合格」ってほんとにいいなと思った。
公立高校は落ちたけど、でもやっぱり、S君はちゃんと「合格」したのだと思った。
それは彼が踏み出す新しい世界への出発の約束なんだと思った。
彼のあの晴れやかな顔は、彼がそれをしっかり手にしていることのあかしなのだと思った。
昨日の文章は、もちろん高校に合格したこの塾の生徒ひとりひとりに対するものなんだけれど、でも、ほんとは一番S君の顔を思い浮かべながら書いたものだ。
その日
空は高いだろうか
雲は海へと流れているだろうか
風があこがれをはこぶとき。
立ち止まるだろうか
置き去りにしてきたいくつかの問いに。
振り返るだろうか
あの日やさしかった遠いほほえみに。
だが
いまは告げよう 訣れを!
見つめられつづけたものに 最後の一瞥をくれて。
こんな、遠い遠い昔書いた詩の一節がなぜか今不意に頭に浮かんできた。
これが、今日の引用の代わり。甘ったるいが許したまえ。
今日もおだやかないいお天気だ。
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