「考えない」ということ
自由であるということは、生活の必要(必然)あるいは他人の命令に従属しないということに加えて、自分を命令する立場に置かないという、二つのことを意味した。
―ハンナ・アレント「人間の条件」(志水速雄 訳)―
ハンナ・アレントはタバコを吸っておりました。
部屋の中でも、散歩中でも、大学の講義中でも。
彼女はタバコを吸い、そして考えていました。
アレントだけではありません。
1960年代の世界では大人は皆だれもがタバコを吸っておりました。
男も女も、皆タバコを吸っておりました。
原稿を書きながら、ワインを飲みながら、電話を掛けながら、大人はみなタバコを吸っておりました。
ああ、そういう時代だったのだなあと思って映画「ハンナ・アーレント」を観ておりました。
映画はなかなかおもしろかったのですが、こないだの「鑑定士」と違って、みなさんにお勧めしようとは思いません。
なぜなら、映画が語る彼女の伝記的事実より、かつて読んだ彼女のいくつかの著作の方がわたしにはずっと刺激的だったからです。
とはいえ、これは「考える」ということがどういうことであるか、そのことをあらためて考えさせる映画でした。
あるいは「考えない」ということが人に何をもたらすのかについて。
なぜなら、彼女が、何百万というユダヤ人を強制収容所に送り込んだ元ナチスのアイヒマンの中に見出した「悪の凡庸さ」(the banality of evel )の本質とは、まさに「考えないこと」の中にあるからです。
わたしたちが今、目にし感じている、政治や社会の中にあるbanality(凡庸さ、陳腐さ)がいったいどこから来ているのかもまた同じなのだろうと思います。
考えねばならないのだと思いました。
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