寓話
犬が羊の皮の上に眠っていると一匹の蚤が、垢じみた羊毛のにおいをかぎつけて、この方が犬を吸っているより暮らしもらくであれば犬のは矢爪の心配もないにちがいないと判断した。それで前後の見境もなく、犬を捨てて、密生した羊毛の中に入り、苦心惨憺、毛根に達しようとした。
― 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」(杉浦明平 訳)―
昨日風呂の中で読んでいた、セネカの「人生の短さについて」という文章は当時(紀元五〇年頃)、ローマの穀物を管理していた食料長官パウリヌスという人物に当てて書かれたものであると注釈に書いてあった。
中で、セネカは「君の仕事は人間の胃袋に関することだから、飢えた大衆は道理受け入れず、気を静めることもな」いから、そのような仕事からはさっさと引退なさい、と書いていた。
それで、なんとなくローマのことが気になって、愛ちゃんからもらった高校の世界史の教科書を開いてみると、次のような文章が書かれていた。
ローマはこれら海外の征服地を属州とし、総督を派遣して統治した。属州からは大量の奴隷と巨額の富が流れ込み、、それがローマの社会を大きく変えた。中小農民の土地は長年の従軍のために荒れはて、さらに属州からは安い穀物が入ってきた。このため、農民は土地を手放し、無産市民となって首都ローマに流れ込んだ。有力政治家たちは彼らに「パンと見世物」を提供し、自分の支持基盤とした。一方、貴族や上層の平民らは土地を買い占めて大土地所有制(ラティフンディア)を発展させ、多数の奴隷を使ってオリーブやブドウなどの商品作物を生産した。
― 「世界史B」(三省堂)―
ここには、今から二〇〇〇年前のローマがどのように共和制から帝政に移行していったのかが、実に簡潔に書いてある。
ところで、上の文章を読みながら、これはまったく現代の日本に重ね合わせられる、と思うのは私だけなのだろうか。
もっとも、ローマに限らず、世界のあらゆる歴史が同じようなことを繰り返してはいるのだが・・・。
とはいえ、現実に起きていることはやはり気になる。
さいわいに、TPP交渉は昨年中にはまとまらなかったけれど、今の自民党政権がやろうとしている農業政策とは、生産性の低い小規模農家の米の生産に替えて、「貴族や上層の平民」ならぬ企業に大土地所有を認め、お金になる商品作物を作らせようということであろう。
なにしろ、「属州」ならぬ海外の穀物の方が圧倒的に安いのだから。
自動車をはじめとする工業製品を売って、その金で食糧を購えばいいというものだ。
けれども、ものは食糧である。
それがなくなれば、飢餓がやって来るのである。
自ら耕さぬ商業国家カルタゴがなぜ亡びたかを思えばいい。
あるいは、それがどれほどの社会不安をもたらすかは帝政になった後のローマの様子を見ればわかる。
時代は変わった、そう言うかもしれない。
ほんとうにそうなのか。
輸送手段やITがどんなに発達しようと、人が飯を食わねば生きていけないことは二〇〇〇年前とすこしも変わっていない。
なんてことを書いてきたけど、今日はまったく風もなくてあたたかで、昼間はずっと窓を開けたままで過ごしておりました。
老人にはなによりのごちそうでした。
ぽかぽか
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