大晦日の午後
かたちのあるものはいつかは消えてしまうけれど、消えたものは、かたちを失うことで、いつまでも残るのよ。
― 松家仁之 「沈むフランシス」 ―
今年も、大晦日の午後は椅子にすわって松家仁之の小説を読んでいた。
去年の大晦日も同じように彼の小説を読んでいたのだった。
「火山のふもとで」。
今年は「沈むフランシス」。
彼の小説を読みながら過ごした去年の大晦日があまりにもよかったから、今年も彼の小説で年を越そうと、秋口に新刊が出たと知ったとき買いこんで、ずっと本棚に横にしたまま置いてあったのだ。
思いもかけず、これは恋愛小説だった。
(読み終わって帯を見たらちゃんと「恋愛小説」って書いてあった。迂闊!)
音を仲立ちとした、だからこそしずかな、よい小説だった。
三時前には、低い冬の陽は向かいのアパートの屋根に隠れて、部屋が少し暗くなる。
そんな部屋の中でよい小説を読んでいるのは、ほんとうに贅沢な時間なのだと思う。
主人公の女性は北海道の戸数800の村で車で郵便を配達している。
今日の引用は、郵便を届けに来た彼女に目の見えない老婦人が言う言葉だ。
かたちを失いながらもそのことでかえって私たちの中に残るものこそが、ほんとうは私たちというものを作っているのかもしれないのに、私たちはあまりにもそのことに無頓着だ。
たとえば、一日の終りを告げる夕暮れの雲すら、私たちは胸に刻むほどに見つめることをしない。
しんとした、しずかな夜。
今夜は音楽も聴かないでいる。
ほんとうに静かな夜だ。
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