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未来形

 

 天気予報の言葉は、まちがうことなしには到底語りえない言葉だが、天気予報の言葉がまちがうのは、それが明日について、つねに未来形で語る、あるいは未来形でしか語れない言葉だからだろう。しかし、そもそもはというと、天気予報が行われるようになるまで、未来形で語られる日本語というのは、日常にはなかったのだ。
 

  ― 長田弘 「読書のデモクラシー」 ―

 

 

 とてつもない暑さの日々が続いた果てに、今朝、不意に涼しい朝が訪れた。
 まるでキャンプに訪れて目覚めた高原の朝のような、あるいは、朝ごはんを食べながらふと夏休みの残り日を数えねばならなくなったお盆過ぎの八月のような。
 机の上にはさっき朝の散歩から帰って来た猫が気持ちよさそうに眠っている。
 わたしもいい気持ちだ。

 今日は朝早くから本棚の長田弘の本を引っ張り出して読んでいた。
 いつ読んでも、どれを読んでも、彼の話は頭の中の風通しをよくしてくれる。
 たぶんそれは彼が「自分の頭で考える」ということをしている人だからなのだ。

 ところで、引用の長田弘の文章は桑原武夫が司馬遼太郎とおこなったこんな対談を引いている。

 

 (桑原)愛宕山といえば、ラジオで天気予報をやりはじめまして「あしたは雨がふるでしょう」とアナウンサーがいった。これにはものすごいショックを受けましたね。いまではあたりまえの表現ですが、それまでの日常日本語には未来形がなかった。
 (司馬)ああ、なるほど。
 (桑原)昔のおじいさんなら「あすは雨が降る」といったでしょう。どうしても未来の感覚を出したければ、「あすは雨が降るはずだ」とか「あすになれば雨が降る」という言い方をしました。「あすは雨が降るでしょう」など日本語ではない、と年寄り連中は怒っていたし、若かったぼくも大仰に感じましたね。
 (司馬)はじめて聞いたなあ。そういえば明治以前は未来形がありませんね。

 

 そして、これを受けて長田氏はこう続ける。

 

 未来形がなかったということは、天気は、明日のことではなかったということだろう。待てば海路の日和。天気は待つべきものであり、それゆえ天気は「そのときそのとき」として、つねに現在のことにすぎなかったのだ。だが、どうなのか。逆に天気予報に導かれた未来形による思考のうちに、そののちみうしなわれてきたのは、「そのときそのとき」としての、腰を据えた実際的思考だったのではないか。

 

 ああ、そうなのだな、と思う。
 語っている本人すら何を言っているのかわからないような空虚な「未来形」ばかりで語られる浮薄な言葉が満ち溢れる選挙間近い今はなおさらにそう思う。
 だからこそ、この国の人びとがかつてはその語る言葉に未来形を持たなかったのだということを知ることはとてもよいことなのだ。
 そういう生き方をしてきた人びとがわたしたちの祖先だったのだと知ることはとてもよいことなのだ。
 忘れていた「思考の芯」のようなものがかっちりと思い出されてくるような気がする。
 
 そういえば、長田弘氏には「猫に未来はない」という実にたのしい本もあったな。
 なにしろ、表紙も挿絵も長新太の絵だった。
 たのしいにきまっている。
 ところで、あの本、どこに行ったんだろう。


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