名探偵・マサト
「地図を使ってやるパズル遊びがあるね」と彼はつづけた。「町や河や帝国の名・・・・要するに何でもいいから、ごちゃごちゃしている地図の上の名前を言って、相手に探させるわけだ。初心者は、いちばんこまかな文字で書いてある名前を言って、相手を困らせようとするのが普通だけれど、上手になってくると、地図の端から端まで大きな字でひろがっているような言葉を選ぶ。こういう名前は(中略)極端に目立つせいでかえって見のがされてしまうわけだ。つまりこの場合、肉体的に見のがすということは、あの、あんまり判りきって明々白々なものだからかえって気づかずにすますという精神的不注意であることと、じつによく似てるんだな。
― ポー 「盗まれた手紙」 (丸谷才一 訳)―
先日、勝田氏から電話がかかって来た。
「あなた、やけど、大丈夫ですか」
「おかげさんで。全然たいしたことはない」
「それはよかった」
「しかし、まあ、目の前の机の上にあった豆挽きが目に入らないようでは、わしも相当キトルわ」
「まあ、みんなこの年になれば、そんなもんです。
ところで、あなた。あなたの文章を読んでいると、たいへん不思議に思ったんですが、あのとき、コーヒーの豆挽きがのっていた机の上は、エライきれいだったそうじゃないですか」
「そうなんよ」
「こう言っちゃなんですが、あなたの部屋というのはどちらかというと、いつもお世辞にも片付いておるとは言えん部屋だったように思うんですが・・・」
「ははははは。そのとおり」
「ということは、あのときもあの机の上だけがきれいに整頓されていたわけですな」
「まあ、そうやね」
「なーるほど、わかりました」
「なにが」
「なにがって、あなた。あなたにコーヒー挽きが見つけられなかったわけが、ですよ」
「え。あれは《保護色》のせいではないんか」
「あなた、単純ですね。実に人間というものをわかっていない!」
「はあ」
「あのですね、あなたがコーヒーミルを見つけられなかったのは、あの机がきれいに整頓されていたからですよ」
「どいや。きれいになっとれば見つけやすいやないか」
「ちがうんですなあ、これが。
片付いていたからこそ見えなかったんです。
あなたは現にあの文章に『机の下を探し、部屋中を見まわし・・・』とか書いてませんでしたか」
「たしかに」
「あなたはそこに『机の上を見た』とは一言も書いてない。
つまり、あなたはハナから机の上を無視したんです。
で、ごちゃごちゃした部屋の隅々を探していた。
あなたは机を見て『こんな片付いたところにあるはずがない』と思い込んでいたんです。
だから、あなたの網膜にはちゃんとその探し物が映っていたはずなのに、あなたの脳はそんなところに探しているものであるはずがないと思ってその映像を探し物の検索からはずしてしまっていたんです」
「深くて!
ということは、あれが見つからなかったのは老化のせいじゃないんですな」
「いやいや、むろんあなたの老化は歴然たるものです!
否定すべくもない!!
しかしながら、それ以前に、人間というものの脳の認識構造がそうさせていたんです」
「ははあー。
あんた、シャーロック・ホームズみたい人やなあ!」
「何を言うとるんですか、あなた。
ほんなこと口走ってしまうこと自体、すでに、あなたが老化なさった証左ですぜ」
・・・などと、勝田氏は謙遜せられておりましたが、いやはや、なかなか見事な名探偵ぶりでした。
しかし、あとから考えてみたら、勝田氏の推理はホームズのそれじゃあ、ありませんな。
デュパンでした。
オ―ギュスト・デュパン。
彼の推理は、エドガー・アラン・ポーが生み出した近代小説最初の探偵であり『モルグ街の殺人』を解決し『失われた手紙』を見つけ出したデュパンのそれです。
というわけで、今日の引用は「盗まれた手紙」から。
それにしても、デュパンといい、ホームズといい、昔の探偵はなんと優雅にパイプを燻らしておることでしょう!
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