失言
めったにないが、しかしながら、しばしば生じる現象がある。
― 『象は世界最大の昆虫である ―ガレッティ先生失言録― 』(池内紀 編訳)―
ガレッティ先生というのは1778年から1818年までドイツ東部チューリンゲン州のゴ―タという町のギムナジウムの教授をしていた人だそうである。
地理や歴史に関してたくさんの著述をした人らしいが、その著作は忘れられ、ただ授業中くすくす笑いながら生徒たちがノートに取ったその「失言」によって名を後世に残した人である。
たぶん、彼は生徒から愛されていた先生なのであろう。
かの長嶋茂雄氏のように。
さて、その死の直後に出された彼の「失言」を集めた最初のものは、仮綴じの手刷り本だったそうだが、「江湖の熱烈な要望にもとづき」刊行されその「失言録」の定本となったという1909年刊行の書物名は
「ゴ―タ王立ギムナジウム教授ヨ―ハン・ゲオルク・アウグスト・ガレッティ先生の心ならずも口にせし失言録」
という、たいそうなもので銅板肖像画入りの豪華本なのだそうである。
この本のおかしさは、うまく伝えられないが、ともかく読んでいるとしだいにニヤニヤしてきて、ついには思わず声を出して笑ってしまうといったものなのである。
まじめに断言することのおかしさ、とでも言おうか。
ここで言う「失言」とは、本人がいたってまじめに語っていることによってそのおかしみが増すところが、「俗受け」や「くすぐり」を狙って吐かれる言葉とはちがうのである。
まじめな断言のおかしさは、アリストテレスなんかを読んでいる時ときどき感じるおかしさにも通じるのだが、なにせ、彼の場合は残された言葉が奇妙にねじれているので、笑い続けてしまう仕儀になってしまうのである。
これは、気が鬱したときにみずから処方すべき〈クスリ〉としては最高級に位置する書物である。
と、まあ能書きはここらでやめておいて、彼の失言のいくつかを載せておこう。
ナイル川は海さえも水びたしにする。
(すごい川だ!けれども、そう言われれば犀川もまた海を水びたしにしている)
高山に登るとめまいがする。
当然であろう。
目がまわるからだ。
(うーん、返す言葉もない!)
アフガニスタン人は山あり谷ありの民族である。
(予言してますな、現代を!)
イギリスでは女王はいつも女である。
(素晴らしい!)
ナポレオンにおいてはなにごとにつけ、すべてが極端である。
たとえば、彼の最初の子どもは息子である。
(そうだったのか。勝田氏も、邑井氏も、俊ちゃんも、実は、みんな極端だったんだ!)
砂浜には、なにはなくとも砂はある。
(すごいなあ!)
ライオンの遠吠えは猛烈なもので、何マイル離れた荒野でも、吠えたてた当のライオンの耳に達する。
(たぶんあまりに「猛烈」なので、ひそめた息すら「当の」ライオンの耳には達するであろう!)
こうであったことは、そうではなかったことである。
(たしかに!)
と、まあ引いていればきりもない。
最後に、授業中生徒たちに言ったという言葉をあげておわりにしましょう。
この点について、もっと詳しく知りたい人は、あの本を開いてみることです。
題名は忘れましたが、第四十二章に書かれています。
この文では、一応書名は冒頭にあげてありますので、気の鬱した折は、ぜひ図書館へ足をお運びになられこの本を開いてくださいませ。
出版社は白水社。
1992年初版です。
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