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愚挙

 

 

 新聞の一面に「株価暴落」あるいは「東証急落」とある横に「80歳三浦さんエベレスト登頂成功」とある。
 いずれも、私に無縁の話である。
 私に株価の上下が無縁であるのは、競馬をしない者に馬のオッズの上下が何の意味を持たないのと同じである。
 年寄りのエベレスト登頂が無縁であるのは、そんなアホなことをやって何がうれしいのか思うからである。
 

 毎年のことながら五月の連休中、日本各地の諸山で遭難する者が続出する。
 昔は、どこかの大学の山岳部とかワンダーフォーゲル部なんてのが遭難していた。
 今や驚くべきことに遭難する者は皆多く60歳を超えた爺さん婆さんである。
 本人たちは自分のことを爺さんとも婆さんとも思っていないのか、雪まだ深い山に雄々しく立ち向かっていくらしい。

 昔、雪の山に登る年寄りは死ぬために上った。
 深沢七郎の「楢山節考」にそう書いてある。
 「それは小説だ」と言うものは、小説の中の真実とは何かを知らない人である。
 今山に登る年寄りはまた下りてくるつもりで上る。
 だから遭難した彼らのために救助ヘリが飛ぶ。
 アホじゃなあ、と思うが、思うのは私だけらしく、世間の人はそうも言っていられず、麓から雪を踏みしめ捜索隊が上る。
 まことにまことに、爺さん婆さんのためにご苦労なことだと思う。

 昔は無茶をする者は「ガキ」か「若いもん」と相場が決まっていた。
 恋に狂い、飲めない酒を無理やり飲み、バイクのスロットルを全開にし、車のアクセルを踏み込み、急峻を上り、荒海に乗り出す。
 皆、そんなこんなの中であぶない目に会う。
 時として事故も起こす。
 すると、年寄りは言ったものだ、
「わしも若い頃はあんなもんじゃった、まあ大目に見てやれや」
 そうやって、若い者の失敗は大目に見られた。
 若者はそうやって年を重ねるうちにしだいに身の丈に合ったふるまいを身に付けていく。
 そんなものであった。
 社会とはそのようにできていた。
 しかるに今は年寄りが自分の身の程知らずを「大目に見ろ」と要求する。
 年寄りゆえに衰える身心の活動の不具合を大目に見ろ、というのではない。
 年甲斐もなく若者ぶるのを大目に見よと言うのだ。

 人間は年をとるようにできておる。
 それが普通のことである。
 素直に年を取ればよいのに、何がアンチエイジングじゃ。
 この言葉の最後の音は「愚」という漢字にしておくべきである。
 

 撮影隊やら、医者同道でのエベレスト登頂らしい。
 何が快挙じゃ。
 登るんなら一人静かに登れ。
 こんなもん、日本中のテレビがニュースで刻々伝えるような話か。
 この日、株が暴落しててよかったなあって、心から思った。
 でなけりゃ、これが夜のニュースのトップ、新聞の一面大見出しだった。
 「私も三浦さんに勇気をもらった」なんてバカが必ず出てくる。
 そんなもらった勇気はしまっておけばいいものを、山で遭難する年寄りがまた増える。

 ちなみに昨日は満月。
 三浦氏もこれを見たかどうか。

  更級や姨捨山の月ぞこれ    高浜虚子

 俳人というのは、「冒険家」の100倍精神が健全である。

                      すてぱん


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