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白雪姫

 

 やがて日暮れがたになって、七人の小人が家に帰って来てみると、大事な雪姫が地面に倒れていたものだから、とてもびっくりした。雪姫は、びくとも身動きもしないで、まるで死んだみたいだった。みんなが雪姫を抱き起して見ると、あんまり紐できつく結び過ぎてあることがわかったので、胸紐をぷっつり切った。すると雪姫はすこし息をし始め、だんだんに生きかえって来た。

 

 ― 「雪姫」 (「グリム昔話集」 関敬吾・川端豊彦 訳)―

 

 昨日も一昨日も寒くて寒くて、部屋から一歩も出なかった。
 というわけで、土曜日、夕方ぼんやりテレビを見ていたら、就職活動中に自殺する大学生の話をやっていた。
 なんでも、去年は200人近くの大学生が自殺したそうだ。

 インタビューを受けていた女子学生は30社を受けたそうで、「それでも少ないでしょ?」と彼女が大学の就職課の人に確認してみせたら、その人がうなずいていた。
 なんでも、50社、100社に履歴書を出すのがあたりまえらしい。

  気が狂っている

 ・・・と思うのは、どうやら私みたいな部外者で、当人たちはそこにしか「世界」がないから、みんながそうするなら自分もそうせねばならないと思いこんでいる。
 そうして、会社に落ち続けて気を滅入らせる。
 そもそも、大学に入ったのは別に勉強が好きだったわけでもなく、「その方が就職に有利だ」と教えられ、本人もそう思い込んでいたからで、もし、それが就職に何の役にも立たなければ、それはとてつもない息苦しさだろうと思う。
 なにしろ、就職へのノウハウを教える「塾」まである世界らしいのだ。
 いかに効率的に目的のものを手に入れるか、それを知らないものは落伍するらしい。
 落伍することなど、たいしたことではない、と誰かが言ってあげればいいが彼らの周りの誰も言わないらしい。
 どうやら多くの大学生はマスコミが喧伝する世界のありようが唯一の世界だと信じ切っているらしい。
 たぶん、日本全体がそんなふうになりつつあるのだ。

                      ※

 ディズニーの映画で「白雪姫」がどんな話になっているのか私は知らないが、グリムの童話の「雪姫」は、窓の外にやって来た物売りのおばさん(実は継母)の話をついつい信じてしまう娘の話である。
 小人たちの忠告にも関わらず、彼女は何度もドアを開け、そのたびに死にかける。
 彼女がドアを開けるのは、窓の外に立つ物売りが彼女にとってとても魅力的なものを手にしているからだ。
 そうやって扉を開けた雪姫は、最初美しい胸紐を売る小間物売りに化けた継母にきつく胸紐を締められて倒れ、二度目は小間物売りに毒の櫛で自分の髪を梳かせて倒れてしまう。
 (呆れたことに、この小間物売りは最初の小間物売りと同じなのだ)
 これを救ってくれるのは七人の小人だ。
 ところで、小人というのは、森の中に住んでいる。
 言ってしまえば、彼らは「城の外」の住人であり異形の者だ。 
 雪姫の息を止めていた胸紐を切るのも、毒の櫛を彼女の頭から抜いてくれたのも「外の世界」の住人なのだ。

 だが、雪姫はまだ懲りない。
 またしても、自分が魅かれるものを持って窓の外に立つ者に扉を開けてしまう。
 そうやって家に入った百姓女(に化けた継母)に渡された毒りんごを雪姫は食べてしまう。
 今度ばかりは小人たちが何をやっても雪姫は生きかえらない。
 たぶんそれは、前の二回は、継母の手によって殺されたのに対し、今度は雪姫自身が「自分の手で」リンゴを食べたからだ。
 彼女に「外の世界」の声は届かない。

 小人たちは嘆き悲しみ、雪姫をガラスの棺に入れておく。
 と、長い月日がたった後、たまたま通りかかった王子が、死んだ雪姫を小人たちに懇願してもらいうける。
 そして、召使に棺を担がせて運ぼうとしたとき、召使がやぶにつまづき、そのとき雪姫ののどにひっかかっていたリンゴが外に飛び出して、雪姫は生きかえる。
 それは、偶然である。
 偶然ではあるが、蹴つまづくことは誰にだってよくあることだ。
 そうやって、人は毒りんごを吐きだして新しい世界で生きていく。

 ところで、だれが今の就活大学生のきつい《胸紐》を緩めてくれるのかしら、と思う。
 白雪姫にとっての小人たちに当たる、そんな「外の世界」の住人をいつのまにか日本の社会は急速に失ってきている。
 それはとてつもなく息苦しいことだろうにと思う。

 大学とはそれまでの自分とまるで違う人間や価値観に出会う場所のことだ。
 ゴーリキーは、彼が働く中で出会った人々のことを「私の大学」と呼んで作品にした。
 現代の日本は若者の半数以上が大学に通っている。
 にもかかわらず誰も「私の大学」を持っていない。
 誰も自分と異質なものと出会うことを知らないからだ。
 皆、自分と同質のものをよしとし、そうでないものを排除する。
 「いじめ」とはそういう社会が生み出すものだが、「いじめ」を評論家のように語るものは、自分もそのような場所に生きていることに無自覚なままだ。
 自分の国がどのような社会であるのかに無自覚のままだ。
 皆と同じでなければ生きていけないかのように、そして「未来」もないかのように洗脳する社会。 
 なぜそうなるかと言えば、社会の価値観が次第に単一のものになりつつあるからだ。
 そのような場所では、違和を感じるものも自分が感じている違和を押さえつけて皆で同じであろうとする。
 それは息苦しかろうと思う。

 蹴つまづけばいいのだ。
 そうやって、毒りんごを吐きだせばいいのだ。
 そうすれば、どんなに広い世界が待っているか、みんな知ればいいのにと思う。

 ところで、グリムの童話では、雪姫を殺そうとした継母は、最後、炭火に掛けられた鉄の靴を目の前に置かれて
  悪いお妃はその真赤に灼けた靴をはいて、死ぬまで踊り続けなければならなかった。
と書かれている。  
 なぜなのかは知らない。


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