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花鎮め

 

 桜の花の散る季節に、花鎮めの神事が行われていたことは、現在の京都今宮四月十日の祭りによってうかがうことができる。そのとき花の散る様子を、「や、とみくさの花や、やすらえ花や」とうたう。これは「とみくさの花」が稲の花の美称であることから、桜の落花を稲の花の飛散の兆しとみて、それを鎮めおさえる意味だといわれている。

 

 ― 宮田登 「ヒメの民俗学」 ―

 

 昨日今日のものすごい風で当地の桜もあらかた散ってしまった。
 風と言えば、金曜日、テレビのニュースを見ていたら、今回の風をもたらした低気圧が近づいてくるというので、鳥取の梨農家がせっかく咲いた花が散る前にと、急いで筆で受粉作業をしている様子が映っていた。
 農家の人はたいへんだなあと思いながら、同じような話が「宇治拾遺物語」に載っていたことを思い出した。
 比叡山に登った田舎出身の稚児が、桜の花のめでたく咲いたところに風が激しく吹くのを見て泣きだした、という話である。
 僧が、桜の散るのを悲しんでいるのか、なんと優しい子だと思って、
 「桜というものは、はかないもので、咲いたと思ったらすぐに散るものですよ」
と慰めると、稚児は
 桜の花の散らんはあながちにいかがはせん、苦しからず。我が父(てて)の作りたる麦の花の散りて、実の入らざらんを思ふがわびしき。
(桜の花が散るのなんて、別にどうとも思っていません。けれど父親が作っている麦の花がこの風で散ってしまって実らないのではないかと思って、それがつらいんです)
と言ってしゃくりあげた、という話である。
 宇治拾遺の作者は、この稚児を風流がわからぬ田舎者として
  うたてしやな
 (まあ、がっかりさせられる話だ)
と最後に書いているが、当時の、貴族や僧といった直接生産にかかわらない上流階級以外の、農にたずさわっていた大多数の日本人にとっては、この稚児のように考える方がむしろ普通だったのではないだろうか。
 梨や麦はまさにこの季節に花咲くものではあるが、気象予報もままならなかった昔、桜の落花のようすに、その年の稲の花咲く頃の兆しも読みとろうとし、静かに花の散ることを願ったこともあながちに嗤うべきことではないだろう。
 ついでに言えば「花鎮め」という祭りは、大和三輪山の大神(おおみわ)神社では、桜の花が散る頃、疫病が流行るため、それをもたらす疫神を鎮めるために行われるのだそうである。
 中国の鳥インフルエンザのことなんか思いあわせてしまいますなあ。
 大神神社の神威は彼の地まで届かぬものなのでしょうか。

 それにしても、人も時代も季節もその《過渡期》に荒れること、変りませんな。

 

 これは静かな金沢の庭園の落花。
雪の如し。


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