TOB
「自分がいる場所」に気付いたその瞬間、人は、もう危機に取り巻かれてしまっているのだ。
今朝の新聞の経済面に《西武がTOBに反対》と新聞の見出しにある。
TOBって何のことかと思ったらなんでも「株の公開買い付け」というものらしい。
もっとも、そう言われても何のことだかあんまりよくはわからんのだが、ともかく西武の筆頭株主であるサーベラスというアメリカの投資会社がTOBというのを実施しているのに対して経営陣が反対してるんだという。
サーベラス・グループというのはアメリカの投資ファンドだそうで、機関投資家や年金基金から集めた1兆8000億円もの金を世界各地に投資している会社なんだそうである。
なんでも持ち株比率が3分の一以上になると株主総会で拒否権とかいうものが生じるらしく、今西武の株の32.4%を持っているサーベラスは株を公開買い付けしてその比率を3分の一以上にしたいらしい。
どうして、そんなことをしたいのかと言えば、株を上場する時、その売り出し価格をより高くするためなんだそうである。
そのためにサーベラスは
・ 不採算路線である5路線の廃線
・ 駅員の削減
・ 西武ライオンズの売却
というようなことを経営陣に求めているらしい。
・・・というのが記事のおおまかな話である。
私は西武沿線に住んでいるわけでもなければ、西武ライオンズのファンでもない。
したがって、サーベラスが要求していることに対して何の利害もない。
けれども、やっぱりこれはおかしいだろう、と私は思うのだ。
今の経営陣が不採算部門を維持したいと考えるのは、サーベラスとちがって、単に「株主にとっての利益」という指標のみで企業というものを考えていないからだろう。
彼らの考えの中には、地域の足を担ってきた責任とか、あるいは所沢という土地に球団があることの地域における意義などを考えているのだろうと思う。
ここでの対立というのは、企業がそこで働く従業員を含め、その立地する場に暮らす人びとに利をもたらすものであるべきと考える者と、グローバルという名のもとに株主の利益のみがあらゆることに優先すると考える者たちとの差なのだと思う。
アメリカが求め、日本も応じようとしている「規制緩和」というのは、あらゆることを原則自由に、なおかつ平等にしろということである。
けれども原則自由・原則平等を推し進めれば、まちがいなく強者が生き残り、弱者は食い物にされる。
利がなくなれば、新たな利を求めてそこを立ち去って行く者は、そこに残り暮らし続けていく者の生活に責任を持たない。
そのような者たちに自分たちの生活の基盤をゆだねることがどうしていいことであろうか。
そのような者たちは、自分たちの雇う者を非正規雇用にする方がいいに決まっているのだ。
そうだ、そうだ、アメリカの企業はそうなってる、と言って雇用に関する規制を緩和した結果、今や日本の従業員の35%以上がそうである。
たぶん、TPPに参加して「グローバル基準」とやらを日本が全面的に受け入れていけば、この傾向はますます拍車がかかるだろう。
暮らすとは、あるいは生活するとは、けっして一時の利を求めることではない。
多くの者が継続して安定した暮らしを行うことができるようするのが経済という言葉のもとになった「経世済民」ということである。
・・・などと、私が経済を語っても何の説得力もないのですがね。
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