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てこなちゃん

  

 足(あ)の音せず行かむ駒もが葛飾の真間(まま)の継橋やまず通はむ

  〈足音を立てずに行く馬があったらなあ。
    そしたら葛飾の真間の継橋をオレは毎晩でも通っていくのに。)

 

 ― 「万葉集」 (東歌)―

 

 真間川の桜、きれいですなあ。

 ところで真間といえば、万葉集にいくつか歌が出てきます。
 どれも「真間の手児奈(てこな)」という美少女に関する歌です。
 引用した東歌で、
  板を張った継橋を渡るときにも音を立てない馬がほしい
などと男が言うのも、要するに
  誰にも気づかれずに毎晩美少女の手児奈ちゃんに逢い行きたい!
ってことなんですな。
 この東歌のみならず、万葉集では山部赤人、高橋虫麻呂という二人が長歌を書いております。
 草深い葛飾のこの少女は、都でも評判だったらしく、二人ともその墓を見て歌をうたっている。
 で、その虫麻呂さんの歌によれば、手児奈ちゃんは

  どんなさえない服を着てても、髪の手入れもせず、履物も履かない裸足でいても
  きれいに着かざった上流のおねえちゃんなんか相手にならないほど美しく
  彼女が、満月のように美しいその顔にほほ笑みを浮かべると、男たちは
    夏虫の 火に入るがごと   
  
彼女に恋してしまう

てな娘さんであったらしい。
 ところが、まあ、若い男のことですからね、飛んで火に入った以上、当然のように彼女をめぐっての恋の鞘当てが始まるわけです。
 すると、手児奈ちゃんは思うわけです、
 「私さえいなかったら、こんなケンカなんて起きなかったのだわ・・・・」
 というわけで、なんだかよくわかりませんが、彼女は自殺してしまう。
 うーん。
 美少女には美少女の嘆きやつらさがあるのかもしれませんが、でもなあ・・・。 
 もっとも、赤人さんや虫麻呂さんといったおじさんまで彼女のお墓を見てそれに同情しているので、当時はそんな話にもリアリティがあったのでしょうか。

 勝鹿(かつしか)の真間の井を見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ

 〈葛飾の真間の井戸を目にすると、そこにいつも水を汲みにやって来ては、そこの地面を踏んで平らにしただろう手児奈ちゃんのことが思われてくるよ)

 これは虫麻呂さんの長歌に付いている反歌ですが、うーん、相当の思い入れだなあ。
 なんだかAKBファンのおじさんみたいですな。

 赤人さんが書いている手児奈ちゃんのお墓とか、あるいはこの「真間の井」が今もあるのかどうかは知りませんが、そのうち山田さんが探索して写真付きで報告してくれるかもしれません。

 ところで、私、はじめから「手児奈ちゃん」「手児奈ちゃん」とやたら親しげに彼女のことをちゃん付けで読んでおりますが、実はこれは正しい呼び方なのです。
 「岩波古語辞典」によれば「手児奈」の「奈(な)」というのは
  《上代東国で多く使う》体言の下につけて親愛の情を表す
接尾辞なんだそうです。
 要は「ちゃん」なんですな。
 というわけで、「れいな」ちゃんとか、「あやな」ちゃんとかいう、いかにも現代風に聞こえる女の子の名前も、かわいくてしょうがない自分の娘を呼ぶとき、無意識のうちに「な」をつけて呼びたいという親の気持ちが表われたもので、実は深く日本の伝統に根ざした名前であるようなのです。


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