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表情

 

 よく人間の残忍なふるまいを「野獣のようだ」などというけれど、これは野獣にとっておそろしく不公平で侮辱的な言いぐさだよ。だって野獣はけっして人間のように残忍なまねはしないものだ、あんなに技巧的で芸術的な残酷なまねなんかはできっこないよ。虎だって、ただ噛むとか引き裂くといったことしかできないものだ。人間の耳を一晩中釘づけにしておくなんて、たとい虎にそんな能力があったにしろ、考えも及ばないことだ。

 

 ― ドストエーフスキイ 『カラマーゾフの兄弟』(中山省三郎 訳) ―

 

 

 その顔はわずかにうつむいている。
 黒い肌、短く刈り込まれた髪。
 分厚い唇はわずかに開いているが、それが何のために開けられているのかを本人も知らない。
 目は見開かれているが、何も見ていない。
 右の頬には一筋涙が流れたあとがあり、左目からは今大粒の涙が落ちようとしている。
 けれどもその顔には表情がない。
 というよりも、むしろそれは、顔というものが表情をつくるものだということを忘れてしまっている顔だ。

 額から眉間にかけて10センチほどの鉈(なた)で打たれたような深い傷痕がある。
 傷はすでに縫われて癒え、そこにできた溝の両側に肉が盛り上がっている。

 新聞に、そんな女のひとの、ほとんど同じモノクロ写真が二枚並んでいる。
 そして写真の下にこんな言葉が書いてある。

 

 「兵士たちは夫を生きたまま切り裂き、切り取った肉を私に料理しろと強要しました。
 目の前で家族全員をフツ族民兵に殺され、私は拷問されました。」
                          ――アディラ・ブミディアさん〈36歳)
                            コンゴ民主共和国南キブ州  2008年

 

 しばらく呆然とした。
 何を言えばいいのか。
 そんなことが本当に起こりうることなのだろうか。
 人は、あるところから、とてつもなく残虐になれるものだということを私は知っているつもりだったのだが・・・。

 もう一度彼女の写真を見る。
 2008年というのは、あのフツ族・ツチ族の争いがあったウガンダの内戦からどれほど時間がたっているのだろう。
 彼女の額の傷はふさがっているが、けっしてふさがらない傷が彼女にはある。
 彼女の顔はゆがんだりしていない。
 その顔は感情によって顔をゆがめることすらもう忘れてしまった顔だ。
 ただ、涙を流しているだけなのだ。

 悪とは、一人の人間から一切の表情を奪ってしまうもののことだ。
 表情を失くしたまま人が生きることを、本当に生きると言うのだろうか。

 第32回土門拳賞を受賞したという亀山亮の写真だという。
 水曜日の毎日新聞に載っていた。


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