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春愁

 

 閉戸欲推愁    戸を閉じて愁いを推(お)さんと欲するも
 愁終不肯去    愁い終
(つい)に去るを肯(がえ)んぜず
 底事春風來    底事
(なにごと)ぞ春風の来たれば
 留愁愁不住    愁いを留
(と)どめんとすれども愁い住(と)どまらず

 

  戸を閉め切って愁いをおしだそうとするが、
  愁いはちっとも去ってくれようとしなかった
  それなのにどうしたことだろう、春風が起これば、
  愁いをとどめようとしても愁いの方でじっとしていてはくれない

 

  ― 王安石 「自遺」 (清水茂 注)―

 

 王安石は北宋時代の政治家である。
 逼迫する政府の財政を立て直し、困窮する農民の生活を向上させようといわゆる「新法」を実施しようとしたが、元からの利権を守ろうとする保守派によって隠棲を余儀なくされた。

 彼は若い頃こんな詩句を書いている

  一民の生 天下に重し
  (たった一人の民の命でも天下には重い)
 これが彼の原点であり、終生それを目指して奮闘した。

 震災、原発事故からやがて二年の日が来る。
 それなのに、世はその犠牲者を悼むことを忘れたかのように株価とか為替とかいった「ただの数字」に浮かれている。
 十万を超える人々の生活を根こそぎにした原発を、それでも続けることが「国益」にかなうことだと言う政治家がたくさんいる。
 それを後押しする人もいるのだろう。
 あれほどの事故でなにも学ばないとすれば、いったい彼らは何を学ぶのか。
 海外の邦人の命を守るべしと声高に述べながら、国にいる何万の人々の命を守ることをしようとしない。
 生き方そのものを変えなければならないときに、自分が経験したこともない昔をあたかもよきものであるかのように称揚して、今までどおりのことを推し進めて「世界一」を目指すなどという寝言を真顔で言っている。
 王安石ならずとも

  閉戸欲推愁    
  愁終不肯去

 テレビのニュースを消して愁いをおしだそうとするが、愁いはちっとも去ってくれようとしない

と言いたくなる。
 どうやら、春のひと日、窓を開けてあたたかな春風で愁いを払うしかなさそうだ。


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