おとうと
ずっと長く、小さい時から世話を焼いてきた弟なのである。いつもげんが何とかかとか心にかけてきた弟なのだ。げんはいつも姉だった。それだのにこゝへ来て碧郎は、以前の弟といふものとは少し違った人になってしまったやうだった。げんに太刀打ができなくなった部分が生じてゐた。弟が背高く思はれて、自分が背低く見え、姉の位置からずった気がしてたまらない。
― 幸田文 「おとうと」 ―
昨日大津皇子と大伯皇女のことを書いたら、なんだか幸田文の「おとうと」を読みたくなって、朝から読んでいた。
きっと泣くだろうと思っていたが、はたして高校時代と同じように涙が出てきた。
話は彼女の三つ違いの弟が中学生になってから、十九歳で結核で死ぬまでの話である。
弟は中学で些細なことから不良少年の仲間入りをし、学校を退学させられ、何ごとも長続きしないまま、気が付いたら不治の病に冒されていたのだ。
彼女たちの生母も早くに亡くなっている。
父親の幸田露伴には後添いが来るが、この継母と彼らは必ずしもうまくはいっていない。
引用した部分は小説の終り近く、弟が二度目の結核を発症し死に向かう場面である。
この部分を読みながら、同じ異性の間柄でありながら、兄妹と姉弟がまったくちがう間柄である理由がわかったような気がした。
兄妹の関係では、兄は永遠に兄であるのに、姉弟では、姉はだれでも一度弟に追い越されるのだ。
ここで書かれている「背」は本当の背丈のことではないのだろうけれど、まず弟の背丈が姉を追い越し、それに伴って体力はもとより、考えていることも姉を追い越していく。
どんな姉も 「姉の位置からずった気」 というものを弟に対して抱く時が来るのだ。
それは一方ではうれしいことなのかもしれないが、どこかさみしい思いを姉に抱かせるのではないか。
兄は妹からの距離を感じさせられる時が来ることがあっても、けっして「追い抜かれる」ことではないだろう。
ちがう道を歩きはじめるだけだ。
それに、そもそも兄は妹に対して、姉が弟に対するような積極的な係わりをしようとはしないものだ。
むろん、弟にとって姉はいつだって姉なのだから、大人の男になっても放っておけばふと昔のように姉に甘える部分も出てくる。
大津皇子が最後に大伯皇女のところに行った時も、きっとそんな場面があったのだろうと思う。
はたして、万葉の時代、伊勢神宮の中で幼い頃のように姉弟が同じ部屋に枕を並べて寝るなどという場面があったのかどうかはわからないが、この小説の中で病室に看病のために姉が泊まり込む場面を読んでいると、彼らにもそんなことがあったのだと想像したくなったりする。
「ねえさん」と呼んだ。寝言かと思った。眼をつぶってゐたからだ。「ぼくにはわからないんだがね。ねえさんってひと、誰かを好きになったことあるの、ないの?」
はっとした。急いで答へた。「ないわ。」(中略)
「なぜ?なぜそんなことを訊くの?」
「なぜってこともないけど、・・・ほんとにないの?あったやうな気もするんだけどね。」
「ない。」慌てゝ答へる。あったやうな気もする、けれどもないのだった。
「さうか。ないとすれば――」
「なにさ、ないとすればどうなの?」
「つまんないな、ねえさんもおれも。」そこで彼は眼を明けると、すこし額を動かしてげんを見、ありとしもないかすかな笑ひを口もとにあげた。
十九歳の弟と二十二歳の姉の会話である。
二十二歳で婚期を逃しつつある、などという時代はともかくとして、この会話はせつない。
弟は誰かを好きになったことがないまま死のうとしている。
そして姉のことを少し心配している。
だからせつないのだけれど、それでもここには、なにか姉弟が幼い日枕をならべて寝ていた頃のどこかほのぼのとした情感もただよっているような気がする。
そんな会話が大津皇子と大伯皇女の間にもあったのだろうか。
小説の中ほど、結核を宣せられた時、この弟は泣いている。
死にたくないのだ。
若い者で死を怖れない者などどこにいよう。
ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠(くもがく)りなむ (416)
そういえば、昨日引用した歌からはるか離れた「万葉集 巻第三」には死を賜った大津皇子のこのような辞世の歌が載っているが、その詞書きには
大津皇子の被死(みまか)らしめらへし時に、磐余の池の塘(つつみ)にして涕(なみだ)を流して作りませる御歌一首
とある。
二十四歳の皇子もなみだを流して泣かれたのだ。
そしてたまたまであろうが、その流したなみだは「サンズイに弟」という字だ。
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