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誕生日

 


 中庸っていちばん気ちがいじみた状態だ

 

 ― 北村太郎 「ぼくの天文学」 ―

 

 

 中庸というのは、私からいちばん遠い徳だ。
 私に、語るほどの徳なんて、ほかにも別にありはしないんだが、けれどもいちばん遠い徳は中庸なのだ。
 なぜなら、私はいつだって過剰だから。
 そうやって何をやっても過剰、過多になってしまうのは、要はこらえ性がないせいで、たぶん中庸というのはとてつもない意志の強さを必要としているのだ。
 気ちがいじみているとはそういうことだ。
 気ちがいじみた意志の強さを必要とするのだ。

 たとえば誰も踏んでいない雪の上を歩けば、むろん自分の足跡がつくのだが、ふりかえって見たときそれが誰の足跡であるかを知っているのは自分だけで、それはほかの人には何の意味もない足跡だから、みんなその上にいっぱい足跡を重ねて、振り返って見てもどれが自分の足跡だかわからなくなる。

 足跡なんてなくったって、現におまえは今そこにいるのだから、おまえはなんだかかんだ言いながら、ともかくもそこまで歩いて来たんだよ、なんて言われればたしかにそうなんだけれど、やっぱり振り返りたい足跡というのがあって、それを振り返りたい時というのがあって、なおかつ今立っている場所の風景の過半が、未来よりもむしろ過去の方に視野広い場所にいるとき、それがちゃんと見えないと自分のいる場所すらいったいどこなのかわからなくなる。

 

 

 

                     足跡なぞしょせん消えるのだが。

 


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