正座をする人たち
あれらはどこに行つてしまつたのか?
なんにも持つてゐなかつたのに
みんな とうになくなつてゐる
どこか とほく 知らない場所へ
― 立原道造 「真冬の夜の雨に」 ―
日曜日の毎日新聞の書評欄に一枚の写真が出ていた。
本橋成一という人の『上野駅の幕間』という写真集の中の一葉であるという。
新聞にはその写真の説明として、こんなことが書いてあった。
脱いだ履物を横に並べ、正座して列車を待つ母子。
これは、何であろうか!
私はしばらくその写真から目が離せなかった。
たしかに駅のホームに新聞か何かを敷いてその母親は正座している。
彼女の右側には小学校低学年ほどの男の子が二人。
一人は靴を履いて腰を下ろしている。
もう一人は母親に寄りそいながら、右手で、向うの線路にいる電車だろうか、何かを指さしている。
夏なのであろう、周囲には半袖姿の人たちが行き交い、あるいはたたずみ、台車を押す人の姿も見える。
その中で坐っているのはこの親子だけだ。
ほかに誰一人列を作っていないホームの最前列に坐っている彼らが待っている列車がいつ来るのか、それはわからない。
母親はまるで家の縁側から外を見ているかのようにその両手を静かに両方の膝の間に置いて正座している。
そのかたわらには彼女の履物がそろえて置かれ、白っぽい大きな紙袋が二つとカバンが一つ置かれている。
写真がいつ撮られたのか、日付や年代は書かれてはいないのでわからない。
人々の服装から言えば70年代の初めのようにも思えるが、はたして70年代にこのような人がいたのかどうか、さだかには断言しかねる。
けれども、私はこのような女たちをたしかに見た記憶がある。
たとえば、小学生のころ「百万石まつり」の大名行列を見るために金沢のメインストリートの脇に茣蓙を敷いて坐っていた女たちは皆、こんなふうに履物を横にそろえ、正座していたのではなかったか。
あるいは、映画「無法松の一生」の運動会の場面でも、子どもの競走を見る女たちはやはりそのように地べたに茣蓙を敷いて膝を揃えて坐っていたのではなかったろうか。
いつ日本の女たちは坐るとき足を伸ばし始めたのだろう。
わからない。
わからないが、今そんなふうに地べたに坐る人を私たちは見なくなった。
そんなことを思いながら、その夜、教育テレビで平塚らいてうと市川房江の番組を見ていたとき、私は思わず
「おお!」
と声を上げてしまった。
そこに映された、戦前、婦人参政権の獲得を目指すべく集まった女たちの記念撮影の写真の中で、その最前列の幾十人の女たちはみな、実に実に礼儀正しく正座をしていたのである。
、
----------------------------------------------------------------------------