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蛇の如く

 

 新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ。

 

  ― 新約聖書 (マルコ 2-22)―

 

 

 

 さっき、写真を載せた後、今月の月別の投稿数を見たら61となっていた。
 ふと見れば、11年5月の総投稿数に同じである。
 で、どれどれ、となんとなくその月にクリックして投稿を読んでみた。
 忘れていたが、なかなかおもしろかった。
 司氏の俳句に笑い、勝田氏投稿の歌をひさしぶりに聴いた。

 11年5月は震災から2カ月である。
 原発事故はまだなまなましい。
 そのなまなましさの中で、私はなにやら怒っている。
 しかし、怒ってはいても、まさか、それから二年近くがたとうとしている今も状況が何一つ変わっていない、なんてことは想像していなかったような気がする。
 この国は、あまりと言えばあまりのひどさである。
 そんな中、自民党政権に変わって、原発政策はむしろ後戻りをしようとしている。
 なぜ、そういうことが起きるのかもわかっているが、それは今は書かない。

 あまりと言えばあまり、と言えば、「未来」の分裂もなかなかものだった。
 その原因は、たぶん「新しいぶどう酒」を出来合いの「古い革袋」に入れてしまったことにあるのだが、それは嘉田氏個人の過誤というより、むしろ、今の日本にそもそも「新しい革袋」ができていないせいであろう。
 事故後二年たっても、いまだにそれが作られていないことにこの国の抜きがたい病弊がある。

 「新しいぶどう酒」は確かに醸されているのだと思う。
 にもかかわらず、それを入れるべき「新しい革袋」を用意できずにいるうちに、「古い革袋」の持ち主がしゃしゃり出て
  いやいや、古いぶどう酒の方がうまいんだよ
としたり顔に語りはじめている。
 同じ聖書でも「ルカ」には
  だれも古いぶどう酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。
などと書いてある。
 権威主義者・「保守」主義者とはそんなものだ。
 だが、そうではないのだ、と言いたい。
 

 来年はヘビ年である。
 同じ聖書には
   蛇の如く聡く、鳩の如く柔和であれ。
という言葉がある。(マタイ 10-16)
 
 「柔和」の方は、そもそもあまり自信はない。
 けれど、せめては「聡く」ありたいものだと思う。
 私に何ができるかは知らない。
 けれど、絶望、はしていない。


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