まぼろし 1
見しことも見ぬ行末もかりそめの枕に浮ぶまぼろしの中
式子内親王
孟浩然以来「不覚暁」(暁を覚えぬ)のは春のことである、ということになっている。
しかしながら、そんなことは忘れて、虚心坦懐、自らの心に問うてみれば、これはどうも違うんでは、と思えてくる。
朝寝は秋、あるいは、冬、ではあるまいか。
すくなくとも私にとってはそうである。
たぶん、寝具、がちがうのである。
孟浩然が生きた盛唐の頃(8世紀)、中国に綿の入った布団があったのかどうかは知らないが、冬の間、北方中国では、寒くてあんまりぐっすり眠れなかったのではないかしら。
それが、春になって、「暖かくなってぐっすり眠れるようになったなあ」の「春眠不覚暁」の感慨ではなかっただろうか。
綿というのは、「インド更紗」を持ち出すまでもなく、そもそもが南方の作物である。
アメリカに南北戦争が起きたのも、南部では綿花栽培の過酷な労働に黒人奴隷を「必要」としたからである。
そんな南方植物の木綿が日本で栽培されはじめたのは室町も終りの頃であるという。
漢和辞典を引けばわかるが、そもそも「綿」という字は真っ白な生糸のことを指していた。
だから、あらたに南方から植物の「綿」が伝わったとき、日本人はわざわざ「木綿」と名付けたのだろう。
そのようなものがなかった万葉や平安の頃の寝具たるや、想像に絶する。
秋なれば
ひとりかも寝む
とやたらに嘆かれるのは、もちろん性的な欲求もあろうが、寝具が粗末で、人の肌のぬくもりが恋しくてしょうがなかったことが背景にあったのだろうと思う。
木綿栽培が普及し始めた江戸時代ですら、元禄時代の芭蕉は「奥のほそ道」の中で
紙子一衣は夜の防ぎ
と書いている。
つまり、紙をで作った服を夜具としているのである。
これでは新聞紙や段ボールを巻いて寝る路上の人に変らない。
冬なんぞ、眠れたものではなかったろう。
「不覚暁」であるより、むしろ「はや夜も明けなむ(早く夜が明けてほしい)」(伊勢物語・第六段)の思いで、朝を待っていたにちがいない。
それが、春になって、ぐっすり眠れるようになっての、「春眠不覚暁」であったのではなかったろうか。
ところが、いまは綿入りの布団である。
羽毛布団だってある。
毛布を掛けてその上に掛け布団となれば、ぬくぬくである。
冬の朝の目ざめは心地よく、にもかかわらずそうやって目を覚ましても、肌にかかるふとんはさらに心地よく、再び目をつぶれば、心はまたうつつとも夢ともわかぬ中にたゆたってなんともいえぬしあわせである。
というわけで、今朝寝床の中で思い出したのが引用の式子内親王の歌で、本当はこの歌について、いろいろ書こうと思って書きはじめたのに、湯豆腐で酒を飲みながら書いていたら「春眠・考」で、盛り上がってしまった。
酔って来たから、一応、意味を高校生古文的に解釈だけほどこしておいて、この歌に関する話は次回に持ち越すことにしよう。
私がこれまで見てきたことも、そしてこれから見るであろうことも、
みな、かりそめの眠りに見る夢の中のできごとのようなものなのだわ。
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