恒産
産業の目的は富の獲得にあって、人間の幸福ではなかった。
― マルクス 「経済学・哲学草稿」 (城塚登・田中吉六 訳)―
今日の毎日新聞によれば、1999年に労働派遣法が改正(改悪)される以前の 1998年 2月
正社員数は 3789万人
派遣・パート・アルバイト等の非正規社員数は 1173万人
だったそうである。
それが、最新調査では
正社員数は 3322万人 (- 467万人)
非正規社員数は 1829万人 (+ 656万人)
になっているのだそうだ。(総務省「労働力調査」)
これは何を意味しているのか。
言うまでもなく、この国で、正社員という安定した位置にいた人たちが、企業を「リストラ」され、そのかわり1年後あるいは1ヶ月後の暮らしすらを展望できないような非正規雇用によって不安定な暮らしを強いられてきているということだ。
経団連をはじめとする経営者団体や、政治家たちやマスコミは、何かと言えば、二言目には「日本の国際競争力がなくなる」と言う。
曰く、「日本の労働者賃金は高すぎる!」
曰く、「日本の法人税は高すぎる!」
曰く、「この円高ではやって行けない!」
曰く、「原発を止めたら、生産コストがとてつもなく大きくなる!」
そう連呼した結果、正社員の1割以上が解雇、転職を強いられ、全労働者の35%に達しようかという人たちが、いわば「その日暮らし」をしている社会が出現したのだ。
それでもまだ日本の「国際競争力」は脅かされているらしい。
もし、これで「国際競争力」がついたとして、そのついた「国際競争力」とやらで、いったい何を彼らは日本にもたらそうとしているのか。
孟子は、こう言う。
恒産無くして恒心有る者はただ士のみ能くすと為す。
民のごときは、恒産なければ因りて恒心無し。
( 「恒産」すなわち「安定した定職があって決まった収入が入ってくるということ」がないのに、志操堅固でいられる者は一部の選ばれた少数者に過ぎない。
多くの人は「恒産」がなければ、「恒心」すなわち「人として人間らしい安定した操」を持ち続けることは出来ないのだ。)
孟子が生きていたのは、今から2300年以上も前の、中国の戦国時代のことだ。
要はそんなことは昔からわかりきったことなのだ。
人々から恒産を奪うことをしながら、「自己責任」を謳い、GDPが増えているから「景気はいいのだ」言っていた小泉政権の五年間とそれに続く日々が日本の社会から何を奪って行ったか考えてみるがいい。
恒産を持たぬ人たちが増え続ける社会がどうして安定した社会であり得よう。
それは「恒心」を持たぬ人が周りに増え続ける社会だ。
そんな社会が、よい社会であるわけがない。
選挙だという。
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