柿に、未来は
いちまいの皮の包める熟柿かな
飯田龍太
柿は人気がありません。
こないだの平田オリザの映画の中で
《一番好きな果物が一致した相手と仲間を作る》
という演劇ワークショップの様子が映されておりました。
お互い、自分の好きな果物の名前を連呼しつつ仲間を探すわけです。
リンゴ。リンゴー。
ミカン、ミカン、ミカン
イチゴ、イチゴー
みな口々にそんなことを言って手を上げながら教室を仲間を求めて、へめぐるわけです。
けれど、40人ほどいた参加者(中学の国語教師)の中にただの一人として
柿!カキ。カキーッ!!
と叫んでおられる方はありませんでした。
うーん。
果物界の国民新党とか社民党とかみたいなもんですな、柿は。
あっても、なきがごとし。
なんでなんでしょうな。
近所の柿の木だってずっと実を成らしたままのがたくさんある。
おかしいなあ。
ヒヨドリやムクドリなんぞに食べさせるくらいなら、私、お許しあれば、全部いただきたいくらいなのだが。
とはいえ、今年も勝田氏から先日大量に送っていただきましたし、部屋に柿があるというだけで、私、かなり「ゆたけし」といった気分になる。
その勝田氏の柿は「いまだし」なのですが、それ以前に私が買いこんだり、生徒からもらった柿が順次、熟柿になってまいりまして、私、たいへんうれしい。
えー、楽しみはですね、これをコーヒー碗かなんかにヘタを下に入れてですな、その上部の薄皮の一部破ってそこにスプーンを差し入れ、中の熟した果肉をすくって食べるというものです。
これは、女性たちが大好きであるらしい濃厚なる甘さを持つ、なんちゃらとかいう洋菓子の上をゆくうまさだと思うんですが。
たぶん、味、じゃあ、ないんでしょうな。
どうもね、イメージが、オシャレ、じゃない。
なんとなく、柿、と聞いただけで、爺さん婆さんの食べ物みたいなイメージがしみついてる。
干し柿、なんてのもイメージを悪くしてますな。
あのしわしわ感、白い粉を吹いたかさかさ感が、作り手のイメージとともに、柿の「婆さん感」を助長させてます。
それかあらぬか、私が納豆を食っててさえ、
「ちょーウマソー!」
などと言う子どもたちですら、私が柿を食ってても、誰も、うらやましそうな顔をしない。
欲しがらない。
スプーンなんかで食ってると
「何?その食べ方!」
って、顔をされる。
おっかしいなあ。
どうなんでしょ、若者に人気の可愛い女の子にですな、
「私、柿が大好きなんです!」
などと言わせながらですな、テレビの若者向けトークショウかなんかで、しゃれた容器に熟柿を入れたやつを、長めのスプーンで食べさせる、なんて戦略を、和歌山とか岐阜とかの柿の産地がやってみたら。
まあ、ダメでしょうな。
柿を食った時点で、その子の人気が凋落しそうな気がしてくるものなあ。
あの子、ババくさッ!
とか言われて。
プロダクションのマネージャが許しそうにない。
うーん、柿に未来は、ない、か。
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