映画立石寺
山形領に立石寺(りふしやくじ)と云(いふ)山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊(ことに)清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるによって尾花沢よりとって返し、其間七里ばかり也。
― 松尾芭蕉 「おくのほそ道」―
当地の中学生、期末試験の勉強も昨日で終り。
というわけで、今日は塾はお休みにして渋谷「シアター・フォーラム」。
大石君推奨の「演劇1・演劇2」。
なんせ、6時間になんなんとするというのですからね、塾を休みにするしかない。
「シアター・フォーラム」って、行ってみたら、昔、今から十年ほど前「タルコフスキー特集」を観に、一ヶ月ほど毎週通ったところだった。
勝田氏垂涎の「ストーカー」もここで観たんだった。
そのとき座ったのとたぶん同じ席に座った。
画面左側の通路寄り。
ここだと足が外に出せて楽。
で、「演劇1・演劇2」。
いやあ、おもしろかったぁ!
聞きしにまさるおもしろさだった。
五時間を超える映画だというのに、ちっとも退屈しない。
大石君同様、私もきわめて上機嫌で、夜の街を駅に向かったのでした。
そんな、映画。
映画の中で、平田オリザ氏は
「芝居を観て、しあわせな気分になってもらいたい、なんてまったく思いませんよ」
なんて言ってたけど、その平田氏を映したこの映画を観てると、なんだか実にしあわせな気分になって来る。
不思議だ。
なんでなんだろう?
たしか、ハンナ・アレントは『人間の条件』の中で、人間の生活のあり方を《活動》《仕事》《労働》の三つに分けて書いていて、その中の「仕事」がその中に目的=手段の関係を含み、「労働」が肉体の持つ必然に従うものであるのに対し、《活動》だけを
直接人と人との間で行われる唯一の活動力
と定義して、その本質は「自由」なのだと書いていたけれど、ひょっとして、この映画が、ぼくや大石君を快活な気分にさせてくれたのは、平田オリザという人がやっていることが《仕事》でも《労働》でもなく、まさに《活動》だからではないんだろうか、なんて思ったりしていた。
アレントが言う《活動》の発想の根源にあるのは古代ギリシアのポリスにおける政治活動なのだけれど、平田オリザのやっていること(というより、そのような活動を行っている平田オリザという存在)が、そういった意味での政治活動をもどこかで含みながら、現代におけるもっと広い意味での《活動》にまで達していることに、「仕事」や「労働」にしばられているぼくらの心がこれを観ることで、どこか解き放たれるからなのではないかなんて思ったりした。
劇団というのが一つの「共和国」みなたいな・・・・。
と、まあこんな話は実はどうでもいい。
要は、おもしろい。
歌舞伎に「娘道成寺」という演目がある。
それとは全然関係ないけど「娘立石寺」というのもあると昔中代君が言っていた。
「今度、入って来た新入生、すっげー、カワイイのがいるぜ!」
なんて噂が立って、どれどれと
一見すべきよし、人々のすゝむるによって
ついつい階のちがうクラスまでわざわざ見物に出かけるような女の子なんだそうである。
たいがいは、ハズレなんだそうだが、中には
佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心すみ行(ゆく)のみおぼゆ。
という気分になってしまう女の子もいて、それが正真正銘の「娘立石寺」。
それにならえば、この映画まちがいなしの「映画・立石寺」である。
見終えれば
気分快活にして、心浮き立つのみおぼゆ。
である。
そのうち、金沢のシネ・モンドでも公開されるらしい。
おひまなら、是っ非、ごらんあれ!
猫も出てきます。
なかなかよい猫です。
パリの猫も出てきます。
これはいい猫かどうか判断が付きませんでした。
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