あられ
初めて見た霰(あられ)は、まさしく白い砂糖衣を被せた四角い雛あられにそっくりで、バラバラと降る霰があがって急に日の照りはじめた空に虹が二重にかかり、前の夜には霙(みぞれ)の中で激しい冬の雷は鳴るし、冬の金沢の変化に富んだ天候は気の滅入る雲の多い暗さだけでなく、時に、本当に鏡花的な豪奢さを見せてくれるのだ。
― 金井美恵子 『猫の一年』 ―
一日雨だった昨日、部屋の中で、先日古本屋の軒先の100円均一の棚で見つけた本を読んでいたら、上のような一節があった。
本自体は、『猫の一年』という表題とはちがって、猫の話もまばらで、なんとも私にはわからないコマーシャルタレントの話なんかが続くエッセイ集で、なんだかなあ、なんて思いながらも、それでも雨の日、なんとなく気持ちも怠惰にダラダラと読んでいたら、上の文章にぶつかったのだ。
こんな文章に、ハッとする、というのは、まあ単なる懐郷趣味からなのかもしれないが、それでも、なかなか正確な冬の金沢の空の描写とともに、その中に「鏡花的豪奢」がある、などと書かれると、なーるほどな、そんなものかなんて思ってしまう。
でもまあ、そんなのは、まちがいなく旅人的感想なのであって、そこに住んでる者たちにとってはいずれにしろ、ここに書かれた気象のすべてが歓迎すべきものではないことは言うまでもないのだが、それでも、それがない金沢が金沢か、と問われれば、なんだかものたりないような気もしてくる、というのもまた住んでいる者の中に潜在的にある思いなのかもしれない。
ところで、文章には「冬の金沢」と書いてあるけれど、ここに書かれている空の様子は、一月二月の真冬のそれではなく、むしろ十一月から十二月にかけての「初冬の金沢」の空の様子である。
表日本にいては全くわからないが、金沢の十一月は木の葉色づく季節でもあるけれど、まちがいなく霰や霙の季節でもあるのだ。
さて、この文章、なかなかすばらしいと思うのだけれど、一点、正しくないところがある。
それは霰が「四角い雛あられにそっくり」というところだ。
たぶんは表日本の出身なのであろう金井氏には、初めて見る霰は一見そう見えたのであろうし、この叙述はその限りにおいてそれでいいのだが、実は霰というものは四角くはない。
そうだよね、霰なんて、丸、だよね!
なんて、お思いのあなた、実は、霰は、丸く、もない。
丸くもなく、四角くもなく、ではどんな形か、と言うと、実は霰は円錐形です。
円錐形と言っても、底の部分は必ずしも平らではなく、ゆるやかな曲線で湾曲しているのだが、それでも先っぽはとんがって円錐形をしているのである。
昔、月に向かったアポロ宇宙船というのがあったけれど、言うてみれば、あんな形をしている。
・・・ということを、小学生の頃、毛糸の手袋の上にくっついた霰の粒をじっくりながめていたときに《発見》して、私、大いに興奮したことを覚えている。
そして、興奮のあまり、ひょっとして、こんなすばらしい観察のできる自分は将来科学者になれるんじゃないか、なんて思ったりしたものである。
いやはや。
まあ、50年も前の小学生の《発見》である。
こちらに移り住んで長く、霰なんてのをほとんど見なくなってしまったので、本当にそうだったのか、なんだか自信もない。
それに、50年あれば世の中のいろんなことは変わってしまうからなあ、ひょっとすれば霰の形も変わってしまっているかもしれないし・・・。
とはいえ、もし、霰は丸いと思っておられる金沢の方々がおられれば、今度霰が降ったら確認してみてください。
たぶん、それは円錐形をしているはずなんだけど・・・。
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