凱風舎
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グローバル・バランス

 

 My heart leaps up when I behold
       A rainbow in the sky :
   So was it when my life began,
   So is it now I am a man,
   So be it when I shall grow old
       Or let me die !

 

       私の心は躍る 
     大空に架かる虹をじっと見るとき
   幼い頃そうだった
   それは大人になった今も同じだ
   年老いたときも 私の心よ そうあれかし
     そうでなければ、私に生きている意味なんてない!

 

   ― ウィリアム・ワーズワース 「虹」 ―

 

 北欧の木々が真っ赤に燃え、英国の田園が落ち葉し草枯れていくとき、先日病気見舞いにいただいた新西蘭(ニュージーランド)の恵理さんからのメールには、かの地でモクレンが咲き、サクラが咲いている幾枚かの写真が添えられていた。
 一ヶ月ほど前の写真だという。
 今は新緑の季節なのだろうか。

  なるほど、そうなのか!
と思う。
 北半球の秋が深まっていくとき、地球の南半分にはちゃんと春が訪れているのだ。
 理屈では分かっていても、こんなふうに身近な人たちからの同じ月における地球の南北の写真を目にすると、あらためて、地軸を二〇度あまり傾けながら太陽の周りを回っているこの地球という星のその不思議なバランスのことを考えてしまう。
 まったく、なんという星なのだろう!
 《グローバルな思考》というのは、本当はこういうことを考えることなんじゃないのか、と思ってしまう。
 もちろん一向利には結びつきそうもないし、目に見える何の役にも立たないけれど、心が広々してくる。

 ところで、恵理さんによれば、ニュージーランドでは誰もお花見をしないらしい。
 そうだよな、文化なんだよな、お花見って。
 2000年間水田耕作を続けてきた民族と、その植民以来、牧羊を生業にしてきた国民では、春にたくさんの花をつける木々に対する文化的DNAがまるでちがうのだろう。

 そんなだあれもいない公園の桜の花の下に乳母車に乗ったさきちゃんが写っている。
 そのそばで、さきちゃんのお姉ちゃんのさくらちゃんは恵理さんと一緒にはしゃいでいたそうだ。
 さくらちゃんとさきちゃん。
 桜・咲き、ニュージーランドでは子どもたちの名前までちゃんと春だ。

 ところで、恵理さんの送ってくれた写真のなかには、やっぱり大きな虹の写真が! 
 季節は変わっても、いつでもあの国は虹の国であるらしい。
 というわけで、今日はワーズワース。


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