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マジすか?

 

 白露や無分別なる置きどころ

               西山宗因

 

 昨晩テレビのニュースを見ていたら、石原慎太郎が都知事を辞任し新党を立ち上げることについてコメントを求められた安倍自民党総裁は

  「《とどめおかまじ 大和魂》の心境だろう思います」

と言っておりました。
 画面の下には、ご丁寧にテロップまで付いておりましたから、これは私の耳の聞き間違いではない。
 私、この人が、相当にアホウで教養のない方だということは前回首相をやられていたときにひしひしと感じておりましたが、今回また思わずため息とともに、
  マジすか?
と思ってしまいました。

 問題は二つあるのですが、まずは、とりあえずわかりやすい方を。
 安倍氏がここで引用したのは吉田松陰の「留魂録」の冒頭にある歌で、それは正しくは

  身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂

 というものです。
 これは彼が安政の大獄で処刑される直前に歌った歌で

  身はたとえ武蔵野の地に朽ち果てようとも、私の大和魂だけはここに留めておきたいものだ

という、きわめて単純なわかりやすい歌です。
 ところが安倍氏はこの歌の
 「留めおかまし
の部分を
 「留めおかまじ
とおっしゃられていた。
 あんたねえ、それでは意味がさかさまになりますでしょう。

 「まし」という助動詞は手元にある高校の古文の文法書によれば
  「ためらい・迷いを含んだ意志や、事実に反する事柄に基づく希望などを表す」 
と書いてあります。
 一方、「まじ」は《打ち消しの意志》を示す助動詞です。
 はやい話が、原水爆禁止運動の標語「原爆許すまじ」の「まじ」です。
 ですから、もし歌が安倍氏のようであるなら意味は

   大和魂なんて絶対とどめておかないもんね

という意味になってしまう。
 これじゃあ、あなた、草葉の蔭の松陰さんが泣きますぜ。
 (まあ、それ以前にそもそも接続がちがうので「留めおくまじ」でなきゃあイカンのですが)
 まあ、松陰さんが泣こうが泣くまいが私の知ったことではないが、そもそも安倍氏は山口県の選出の国会議員ではなかったのか。
 ならば、吉田松陰というのは、郷土の英雄であろう。
 引用するつもりでいるんなら、そんな郷土の大事な人の歌ぐらい、ちゃんと意味が変わらないくらいには覚えておけよ。
  まったく、こういうのは、あなた、「教育改革」以前ですぜ。

 まあ、だいたいこんな歌を思い出すという精神構造そのものこそが実は問題なんですがね。
 アナクロ(時代錯誤)と申しましょうか。
 でも、引用するならちゃんと正しく引用してくださいな。
 仮にも公人でしょ、あんたは。
 聞いてる方が恥ずかしくなってくる。
 それにしても政治家がコメントを求められた時、名言名句の類を引用してみせて、あたかも自分は現在の事態をわかっておるもんねのごときふりをする者が多いのは、実は自分がそのことを自分の頭ですこしも考えてはいないことの証しなのだ。
 が、本人たちはそれがわからずにいる。
 むしろ、そういうことがカッコイイと勘違いしている。
 まあ、すこなくともそれが正しい場面で正しく引用されているなら許されもしようが、かかる半可通を口にして平気でいられるとアホウが次期首相にもなりそうだと思うと、やっぱり私
  「マジすか?」
と言いたくなります。


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