ポンタ
どんな人の思い出のなかにも、だれかれなしには打ちあけられず、ほんとうの親友にしか打ちあけられないようなことがあるものである。また、親友にも打ちあけることができず、自分自身にだけ、それもこっそりとしか明かせないようなこともある。さらに、最後に、もうひとつ、自分にさえ打ちあけるのを恐れるようなこともあり、しかもそういうことは、どんなにきちんとした人の心にも、かなりの量、積りたまっているものなのだ。いや、むしろ、きちんとした人であればあるほど、そうしたことがますます多いとさえいえる。
― ドストエフスキー 『地下室の手記』 (江川卓 訳)―
こんな話を書くと、私を直接知っておられる方々の多くは
ああ、テラニシね。
あのテラニシなら、やるよな、こんなこと。
などと思われるかもしれない。
けれども、言っておくが、これは「本当の話」ではないのである。
似たような話、はあったかもしれないが、ここには誇張がある。
言うてしまえば、これは、いわば、「小説」である。
どうも話に過激なところがあったりするのは、私の、
ちょっと読者諸兄を喜ばせちゃおうかな
なんていう「サービス精神」が書かせてしまっているのである。
したがって、以下に書かれる話の中の「わたし」と現実の私とは「まったく」ちがう人物である。
そこのところを誤解されるとたいへん困るのである。
ことは私の「人格」にかかわる問題である。
であるからして、そこのところをあくまで強調しつつ今日のお話に入らせていただくことにしよう。
また熱が出た。
これはどうしたことだ。
こんなことはいままでなかったことだ。
風邪なんてものは、一回治れば、それでもう「さようなら」の世界にあるべきものだし、またこれまではそうであった。
それをなんですか。
まだ咳が出る。
そして、痰も。
あげくはまた熱である。
年はとりたくない。
これは、医者にもらった風邪薬の残りを飲んで早々に布団にもぐりこむのがもっとも正しい対処法である。
というわけで、さっさと布団に入ったわたしの目が今朝覚めたのは午前3時すぎであった。
ぐっしょり汗をかいている。
布団が汗で冷たくなっている。
イヤだなあ。
けれども、そんなことより、もっとたいへんなことは、ノドが異常に渇いていることだ。
こんなことはかつてなかったことだ。
おーっと、、これは「脱水症状」というものではあるまいか!
とっさにわたしはそう思う。
年寄りに脱水症状 ⇒ キケン!
熱は出ても、理性は働いている。
さすが、積み重ねた教養というのはこういう時に出るものである。
水?
いやいや。
すでに目覚めている私の理性が冷静に告げる。
こんなとき、ただの水を飲んでるようではダメだ。
そう言うのである。
ここは断じて、ポカリ。
そう告げるのである。
汗をかいたらポカリ。
決まっている。
なにせ、《ポカリ・スウェット》の、「ポカリ」ってのはいったいなんだかわからないが、「スウェット」はどう考えても「汗」ですからね。
呼んでます。
「ポカリ・汗」
しかし、日本語訳「ポカリ・あせ」ってのはヒドイ商品名だなあ!
それに、これは漢字で書くと、「ジンギス汗」の異母弟にでもいそうな名前に見える。
13世紀の世界地図の「キプチャク汗国」と「チャガタイ汗国」の間あたりに「ポカリ汗国」なんてのもありそうだ。
・・・などと、しかし、ここは、んなこと考えて自分の教養の深さに自ら酔いしれ、遠く中央アジアの歴史に思いをはせている場合ではないのである。
なにしろ、わたしは「脱水症状」なのである。
体中が「イオン・バランス」を求め「ポカリ」を求めているのである。
それを買いに行かねばならぬのである。
というわけで、わたし、シャツを着替えたついでに、なんと10月だというのにダウン・ジャケットを羽織って外に出たのである。
しかしまあ、外に出たわたしの一歩一歩の足の重いこと!
けれども、心も体もひたすら私は「ポカリ」を求めているのである。
四の五の言ってる場合ではないのである。
わたし、ほとんど三波春夫の歌う「大利根無情」の平手御酒(と言っても、若い人らは知らないか。気になる人はYou Tubeで聞いてください)状態になって、
「行かねばならぬ、行かねばならぬのだ」
と心の中に連呼しつつ、気息奄々、しかし、意志だけは強固に家から100メートルばかりのローソンへ向かったのである。
で、ほとんど能役者の足取りで国道を渡り、店に入るや、まっすぐ、しかしゆっくりと飲料の棚に向かい、そこで2Lの「ポカリ・スウェット」のボトルをやっとの思いで持って、これまたやっとの思いでレジの方にもどって、その台の上に商品を置いたのである。
そして、ポケットの中のジャリ銭を引っぱり出して手のひらに載せていると、レジの中に駆け込んできた若いあんちゃんは、きわめて明るい声で
「いらっしゃいませェ」
といい、続けて
「ポンタカードはお持ちでしょうか?」
と、これまた明るい声で聞くのである。
あのね、あんた、わたしは今「脱水症状」なのよ。
わかる?
「ポカリ汗」を一刻も早く体内に注入したいのよ。
こんなとき、《ポンタカード》もクソもないじゃろ。
それに、あんた、そもそもわたしが《ポンタカード》なんて顔、してますか?
でもね、わたし、エライから、首をちゃんと横に振ったのである。
で、首を横に振りつつ、言われた金をソッコウ支払うべく手のひらの上のジャリ銭を見ていたら、このあんちゃん、もう一度明るい声で聞くのである。
「ポンタカードはお持ちでしょうか?」
あのねえ。
わたし、顔を上げて、そのあんちゃんの顔を見て、言ってしまいました。
「ポンタぁ?
ポンタはおまえじゃあ!
さっさとその値段言わんかい!!」
とても、病人とは思えませんな。
病人とは思えぬ声です。
これは、ほとんどヤクザです。
レジのお兄さん、一瞬、動きが止まってしまいましたもん。
きっと、彼は親からさえ一度も「ポンタ」なんて呼ばれたことはなかったでしょうな。
まあ、だいたい、普通の人は人から「ぽんた」なんて呼ばれることなしに一生を終えるものです。
それを、見ず知らずの、10月にダウンを着とるような怪しげなおっさんにイキナリ言われたんです。
「ポンタはおまえじゃあ!」
コワカッタと思います。
イカンですな。
弱い者いじめはイカンです。
イカンですが、あんた、毎回毎回「ポンタカード」「ポンタカード」なんて聞くなよ。
だいたい、そんなもん、持っとらんから出さんのじゃろ?
それに質問するなら、ちゃんと相手の顔見て質問しろよ。
わたしの否定の首振り、ちゃんと見ときなさいよ。
そういうのを、インギンブレイ、と言うて、これが世の中で一番失礼に当たるものなんですぜ。
だから、あんたは「ポンタ」呼ばわりされるんです!
と言うても、わたしのこのアホさ加減と言うのは死ぬまで消えないみたいですわ。
まったくヨワッタモノデス。
と書いてみたら、結局、全部「本当の話」だけで終わってしまいました。
うーん、才能、ないわ。
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