凱風舎
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反日デモ

 

この道ははじめての道
でも憶えてゐる 昔見た海
あそこは此処 きのふはあした

 

 ― 大岡信 「昭和のための子守唄」 ―

 

 

 そうか、そういうことだったのか、とはじめてわかることがある。
 今を見ながら、ぼんやりとした過去が不意に鮮やかな相貌を帯びて浮かび上がってくる。
 かつて、なぜ、そんなことが起きたのか、どうしてあんなふうにふるまったのか。
 そんな見知らぬ過去たちが、まるで昨日のことのようにはっきりと見えてくる。
 歴史がどのようにつくられ、人々がどのようにその坂を駆け下るものなのか。
 今ある彼らの姿はかつてのわれわれの姿であり、これからの私たちの姿でもある。

 ドストエフスキーの「悪霊」の扉にはルカによる福音書のこんな一節が引用されている。

 

 そこなる山べに、おびただしき豚の群れ、飼われありしかば、悪霊ども、その豚に入ることを許せと願えり。イエス許したもう。悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆けくだりて溺る。牧者ども、起こりしことを見るや、逃げ行きて町にも村にも告げたり。人びと、起こりしことを見んとて、出でてイエスのもとに来たり、悪霊の離れし人の、衣服をつけ、心もたしかにて、イエスの足もとに坐しおるを見て懼れあえり。悪霊に憑かれたる人の癒えしさまを見し者、これを彼らに告げたり。

 

 「悪霊ども」に取り憑かれないようにしなければならない。
 彼らと同じ「豚ども」にならないようにしなければならない。
 「悪霊ども」に取り憑かれた一部の者たちに引きずられて、思いもかけず坂を駆け下ることがかつての歴史にはたくさんあったし、これからもあるだろう。
 そのことを忘れないようにしなければならない。

 


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