ねっくれす
自分がその中で育った習慣だけを究極のものとして、それ以上に出ようとしないのは、ほとんどあらゆる人間に共通の欠陥である。
― モンテーニュ 『エセ―』 (原二郎 訳)―
誕生日、海に行ったのだそうである。
新しい彼氏と。
行ったのは稲毛海岸。
ちなみに、そこは、海岸、というても海水浴をするようなところではなく幅10メートル内外の砂浜があるだけの場所である。
すぐそばにロッテのマリンスタジアムもある。
で、その彼と砂浜に腰を下ろして海を眺めていたとき、男が何気なく自分の横の砂を掘りはじめたのだそうである。
「何やってるの」
って聞いたら
「いやあ、なんか出てくるかと思って」
と言いながら
「おまえも、そこ掘ってみれば」
と言ったのだそうである。
そんなことしたくはなかったけど、やることもないから掘ってみると、何かが埋まっている。
びっくりして、
「え、イヤだ。なんか出てきたッ!」
と言うと
「何、何?すごいじゃん、引っぱり出してみてよ」
と言うので掘り出してみると、きれいな袋に包まれた箱が出てきたんだそうである。
「えーっ、これなんだろ?」
そう言って男の方を見ると、なんと男は笑っているのである。
「え!」
と言うと、男はうなづきながら
「開けてみ」
と言う。
で、開けて出て来たのが
「これなの」
と言って、その若い女は首から架かっているネックレスを連れの女に見せている。
「スゴクナイ!」
話を聞いていた女が声を上げる。
「だって、彼、前もって、それ、埋めてたんでしょ?
それって、スゴクナイ?」
話していた女はうふふと笑う。
うーん、そうか、スゴイのか。
と隣に座っていたおじさんである私は思うのである。
今日図書館帰りに入ったマクドナルドでのことである。
でも、ちょっと、その男、芝居がかり過ぎてはいないか。
もちろん関わりを持たぬ人間にそれがどう見えようと、本人たちがスゴイというのならスゴイことなのである。
まして、おじさんの恋愛に関する見解などというものは
《自分がその中で育った習慣だけを究極のものとして、それ以上に出ようとしない》
最たるものである。
無視してよろしいこと、言を俟たない。
私、別に、私のすぐあとに横に座った二人連れのこんな話を盗み聞きしようと思ってたわけじゃないけど、なにしろ彼女たちにとって、おじさんなんてものは、いてもいなくてもいっしょであるから、その声の大きさは、文字通りの傍若無人。
傍らに人無きがごとし、ですな。
彼女らのみならず、このような方々がいっぱいいらっしゃる時代に「個人情報保護法」なんてものがあるというのもなにやら不思議ですが、おかげでその後、彼女と「彼氏」との馴れ初めから今に至る詳細までをも、私は知ることになってしまったのである。
まあ、A boy meets a girl なんて話は、おっさんが聞けばだいたい「ふーん」としか言葉がないものなのであるが、それでも
なるほど、そうですか
と、なんだかおもしろかった。
とはいえ、今日びの若い男もいろいろなかなかたいへんなんだなあ。
エライものだ。
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