凱風舎
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  ひっぱれる糸まつすぐや甲虫

                     高野素十

 

 三年生が俳句を授業でやっている、というので、今日は教科書を使って俳句の講義。
 中に高野素十、水原秋櫻子、山口誓子の三人の俳句も載っていたから
 「これは4Sと呼ばれたうちの三人じゃ」
と言ったら、男の子たちがクスクス笑う。
 (ちなみに阿波野青畝を加えた虚子門の俊秀4人が「すじゅう」「しゅうおうし」「せいし」「せいほ」と頭文字がSで始まるのでホトトギスの4Sと呼ばれた)
 「なんじゃ?」
と言うと、どうやら「S」がおかしいらしい。
 ヨワッタモノである。
 苦笑いしながら
 「おまえら、Sてなんのことか知っとるんか?」
ときくと
 「えーと、Sはサディストの略」
 「サディストてなんや」
ときくと、
 「えー、先生みたいな人!」
と言うので、大笑いしてしまった。
 知らなかったが、そうなのかもしれない。
 ヨワッタモノである。

 中学生ぐらいの男子がこの手の言葉に敏感であることはちっとも驚くべきことではないが、考えてみたら私が彼らと同じ年齢の頃、SMという言葉が当時の私の敏感なるアンテナに引っかかっていた記憶がないのはどうしたことだろう。
 当時はまだ、それは一般に流布している言葉ではなかったのかしら。
 すくなくとも当時はそれはあくまで「性愛の形態」を表す言葉としてのみあって、それが人の「性格」を表す言葉にまで転用されてはいなかったのだろうと思う。 

 ところで、鹿島茂氏の「SとM」という本によれば、

 「計画が得意で、部屋が整頓されている → S」
 「無計画で、部屋が乱雑 → M」

という分類になるらしいので、
      おおそうか、わしはまったくのMなのだなあ
と、思っていたのに。
 (まあ、本を読んでからでないと自分の分類がわからないような奴に、そもそも、SもMもあったものではないのでしょうが)
 なぜ、部屋の乱雑さでそれがわかるのか興味のある方は幻冬舎新書をお読みなさい。
 ちなみに、これを「男子中学生的期待」をもってお読みなさるとハズレですが、SMを文明論として論じて、なかなかに interesting です。

 


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