マイルド
名の名とすべきは常の名に非ず。
― 『老子』 (小川環樹 編訳)―
「テラニシも 《マイルド》 になったなあ!」
久しぶりに金沢に帰った私のことを戸瀬氏がそう言って感心していたとあとから聞いて笑ってしまったことがあった。
戸瀬氏がそのような言葉で評したのは、当時世の中に「マイルドセブン」が新発売されたからで、新聞によれば、それは35年も前のことであるという。
はたしてニ十代半ばであった当時の私がほんとうに《マイルド》になっていたかどうかはわからない。
というより、この言葉の意味するところは、《マイルド》になった私の変身ぶりに驚く、というよりも、むしろ私のそれ以前の傍若無人ぶりがよほどに《ワイルド》であった、ということを嗤っているのである。
「マイルドになった」
といっても、私の独善的毒気は、よくてまあ1mg ほど低減していただけであろう。
とはいえ、マイルドはマイルド、である。
実質はともかく、雰囲気は若干やさしげになっていた、のであろう、と思う。
ことほどさように、《マイルド》は実質ではなく気分を表す言葉であった。
ところが、そんな実質を伴わない言葉をタバコに使ってはいけないと欧米から言われて、「マイルドセブン」はこんど「メビウス」という名前に変わるらしい。
そもそも「言葉が実質を表すことができる」などと幻想する方がばかげているし、まして「商品名ごときが!」思うのだが、そんなことを言っても始まらない。
世の中には、名は体を表す、なんて言葉もある。
でもまあ、「メビウス」。
「マイルドセブン」よりよっぽどしゃれている。
ところで、私が大学で受講した数学は「トポロジー」というものだった。
日本語でいうと「位相幾何学」となる。
なにやらムツカシゲだが、そして実際ムツカシイのだが、これには「オイラーの一筆書き」とかが出てくるので、 「あんたらみたいな文学大好き系の数学音痴でも興味持てるでしょ」的発想で担当の先生が選ばれたものなのかもしれない。
中で先生が「メビウスの輪」の話をなさった。
というか、目の前でそれを作って見せた。
帯状の紙の一方の端を上下さかさまにして糊付けするとできあがる輪っかが「メビウスの輪」になる。
これは、表も裏もない輪である。
さっきまで表だと思っていた面が裏になり、それがそのまま表になる。
それが証拠に、帯のまん中にペンを当てて辺に平行にひたすらまっすぐ進んで行くと、紙の両面に線が入ってしまう。
「位相」の妙たるゆえんですな。
・・・とまあ、ここまではみなさんご存知かもしれないが、今度はその書いた線に沿ってはさみを入れてこれを切り離すと、どうなるか。
先生がはさみを持ちだして切りました。
すると、ちゃんと切り離したはずなのに一つにつながった輪っかになる。
…ぐらいは、なんとなく予測が付いた。
じゃあ、このできあがったすこし長めの輪っかの中央をもう一度辺に沿ってはさみで切り分けていったっら・・・・・。
この土日、おひまなら新聞の折り込みか何かを細く帯状に切ってメビウスの輪を作って実験してごらんなさい。
どういうわけだか、二つの輪っかがつながった形になる。
すくなくともそれは、私には予想外の結果でした。
・・・というわけで、これと
「一筆書きができる図形とできない図形の違い」
だけが私が大学の数学で学んだすべてなんですが。
と、この話から「メビウス」という名について、何か気のきいたことを書こうと思って書き始めたのですが、暑さのせいでしょうか、収拾がつかなくなりました。
結果、裏も表もない話になってしまいましたが、ご容赦あれ。
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