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兇悪な顔

 

ところで自分の価値にけちをつけようとする他人の陳述をあわてて抑えつけ、それが人の耳にはいらぬようにしようとするのは、自分の価値に自信がない証拠である。

 

 ― ショーペンハウアー 「幸福論」 (橋本文夫 訳) ―

 

 大きな声を上げておりましたな。
 尖閣に上陸し、逮捕された「保釣行動委員会」なる団体に属する男たちのことです。
 しかし、あれは誰に向かって声を上げていたんでしょうな。
 言うまでもなく、あのような叫び、それも「絶望」によっていろどられたそれではなく、一種自信に満ちたかにみえる叫び、による言説は、自分と価値観を異にする人々へ向かっての説得や交渉のそれではありません。
 言うてしまえば、それは自分の仲間や「身内」へ見てもらうためだけのパフォーマンスとしての叫びです。
 それは、はじめから、自分たちの行動を 「よくやった!」 と言ってくれる人たちに向かってだけ為された行動です。

 あの船の上陸までの様子は中継されていたそうですから、そもそもが見てもらうための行動だったのですが、それを見せる相手は自分と同じ価値観を持った人々であって、そうではない人たちからどのように見えるかは、端(はな)から無視されていました。
 それはユーチューブに自分たちがやったいじめの様子や何かを投稿するバカな若者たちとまったく同じものです。
 仲間内の盛り上がりが、自分たちの仲間ではない人たちからどう見えるか、そのような視点はどこにもない。
 彼らが届けたいのは、意見や主張ではなく、パフォーマンスであり、それを届けたい相手は、彼らから見てものわかりのわるい他者ではなく、何も説明しなくてもわかってくれる彼らと同じ程軽薄な仲間たちです。
 むろん、彼らがほしがっているのは、静かな共感ではなく、一時の喝采でしょう。 

 しかし、人というのは、なろうと思えばいくらでも兇悪な顔になれるものなのですな。
 あのような顔になるには、相当の長い年月の修業が必要のはずです。
 どういう修業なのかは知りませんが、あまり積みたくない修業です。


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