因幡の白うさぎ
大きなふくろを 肩にかけ
だいこくさまが 来かかると
ここにいなばの 白うさぎ
皮をむかれて 赤はだか
― 「大黒さま」 ―
今日の夕刊によれば、竹島に向かっていた韓国の遠泳リレーチームは無事着いたそうです。
なによりでした。
実は私、心配してたんです。
なにしろ、あすこはサメが出ますからね。
ウソじゃない。
竹島は隠岐の島のさらに沖ですが、『古事記』によれば、あの辺りの海にはサメがたくさんいたって書いてある。
昔は私だって歌ったことがある「大黒さま」の歌に出てくる「因幡の白兎」は隠岐の島から因幡の国の気多(けた)の岬までサメ(『古事記』には「ワニ」と出ていますが)をずらっと並べて数えたんです。
それぐらいサメがたくさんいたんです。
なにも、そんな昔のことじゃなくても、20年くらい前だったか、あのあたりに船を出して、そこで娘さんを泳がせていたら、サメが出てきて、船に乗っている父親の目の前で、その娘さんの下半身が食べられた、なんてこともあった。
想像するだに怖ろしい話ですが、でも、そんなことだって実際あった。
だから、心配してたんです。
皆それぞれに前途有為であるはずの若者が、愚にもつかない、たかが「国威発揚」なんかの思いであたら命を落としたりしないかと。
まあ、こんなこと書くと日本の人たち(特に島根県の人たち)からも批難轟々かもしれませんけど、人も住んでいないような島がどこの国の領土だろうと、そんな大したことじゃあないんじゃないかしら。
そんなもののために命がけで泳いでみせるほどのものじゃないですし、泳いでみせたからと言ってそれが自分の国の領土だなんて証明にもなりはしない。
(フランス人がドーバー海峡を泳いで渡って、イギリスはフランスの領土だ!なんて言ったら笑われます)
まあ、無事で何よりでした。
ところで、あの「因幡の白兎」の話、私、昔からふしぎに思ってることがあるんです。
彼女は(女かどうかは知らないですが、ウサギと聞くとなんとなく「女の子」というイメージなので)、隠岐から因幡に行くために、ウサギの数とワニの数がどっちが多いか数えてあげるからと言って、ワニを並ばせるんですが、最後の最後、陸に下りようとするときに、
「あんたたち、私にだまされたわね!」
(『汝は我に欺かれえつ』)
と言っちゃうんですな。
「わたし、ほんとは、ただ、こっちの岸に着きたかっただけなの!」
って、バラしちゃうんです。
それで、ワニに「皮をむかれて あかはだか」にされてしまう。
なんで、彼女はそんなこと言ってしまったんでしょう。
「ほんとはね」、なんて言わずに、だまってワニたちに数を教えてあげて、知らん顔してればそれでいいのに、あるいは何も言わなければ、無事に陸にたどり着けたのに、なんで最後の最後にそんなこと言ってしまったんでしょう。
でもね、普通の人は言ってしまうんですよね。
別に、相手に「や―い、バーカ!」って言いたいわけじゃない。
言わないままでいると、自分の心がしんどいんです。
言わないと、だましっぱなしになっちゃうから、なんだか居心地がわるい。
だから、「や―い、バーカ!」って言ってしまう。
この「や―い、バーカ!」は、「なんで、気づかないんだよぅ!」と意味です。
「もう、ドンカンなんだからあ」です。
「なんで私の口から言わなきゃわからないのよぅ!」です。
なにやら、美しい少女とドンカンなブ男の話みたいですが・・・などと書いていると、私に力があれば、太宰治の『お伽草子』の中の「カチカチ山」みたいな作品ができそうですな。
「ほんとはね」って言わずにいられたら、それは詐欺師にはなれますけど、ふつうはみんな、なかなか詐欺師になんかなれない。
だから、あの白うさぎさんはあかはだかにされたけれど、言ってしまったこと、あんまり後悔してなかったんじゃないかなあ。
すくなくとも、詐欺師じゃなくなったんだから。
ところで、「気多」という地名を聞くと、石川県の人たちは羽咋の気多大社を思い出すんだろうけれど、「気多」という地名は各地にあって、海中の崖っぷちや波打ち際を言う方言なんだそうです。 (西郷信綱 『古事記注釈』)
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