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鏡店

 

 

   君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり

                                     河野裕子

 

 金沢に新竪町という町がある。
 私の家から坂を下り、犀川を渡ったところにある町だ。
 昭和30年代には、さまざまな店が軒を並べてそれなりに賑わっていたその通りは、四〇年代に入って、4車線の新しい道路が香林坊・片町といった市の中心繁華街とその町を切り離してしまったために、中心街からの客足が途絶え、その後日本各地の商店街が等しく経験することになる衰退をいち早くこうむることになった。
 おかげで、私が高校生の頃はその町の店はみなくすんでしまっていた。

 そんな通りに「N鏡店」という店があった。
 間口が五・六間ほどもあるわりと大きなその店は、名前の通り、鏡だけを売っている店だった。
 たとえ、新しい道路ができなくても、そもそも鏡だけを扱って商売が成り立つような社会ではもはやなくなっていた時代に、街の本屋の行き来にいつ通りかかってもその店に客がいたことなど一度もなかった。
 けれども、そんな店のガラス戸を、私は半年に一度くらいの割合で開けることがあった。
 新聞販売店の拡張員が契約を取って来た月の月末に集金に行ったのだ。

 ガラス戸を開け、大小さまざまな鏡が置かれている売台の間の通路を、抜けて、奥に向かって声をかけても、なかなか返事がない。
 何度か声をかけて返事を待つ間、私はそこに置かれた大小の鏡に映っている自分の姿を目にしなければならなかった。
 そして鏡に映ったその姿は、思いがけない遠くの鏡にも映っていたりした。
 やっと現れたその店の者は、私が新聞の集金で来たのだとわかると露骨に不快な顔で応対し、必ず今月一月だけの契約だということを念を押してお金を払ったものだった。

 鏡だけが置かれた店!
 私は集金を終えて店を出るたび、いつも
  なんと怖い店であろう!
と思った。
 客も来ない鏡ばかりが無数に置かれているそんな家に住んでいるあの店の人たちは、いったいどんな気持ちなのだろう、と思った。
 もし、泉鏡花がこのような店を目にしたなら、かならずや、妖しい狂気の物語を紡ぎ出したにちがいないのに、と思った。

 先日、金沢の誰もいない家に帰って明かりをつけた時、部屋の奥の鏡にリュックを背負った私の姿があった。
 それは、雨戸を閉め切られた暗い部屋に置かれていたその鏡が四カ月ぶりに映した生きた者の姿だったはずだ。
 けれども、
  はて?
と、私は思うのだ。
 はたして、この間この鏡はほんとうに何も映さずにそこにあったのだろうか、と。

 鏡は怖ろしい。
 まして、暗い店の中に無数に並ぶ鏡は怖ろしい。
 もちろん、あの「N鏡店」は今はもうない。
 あれは私が入った一番怖ろしい店だった。 
 
 引用は、手にしたスプーンに映った翳りにさえ、自分の愛する者の徴(しるし)を見てしまう若い女の揺らぐような心を歌った短歌。
 鏡で思いつく引用もなかったので、これにしました。

(ああ、そうか。『ドリアングレイの肖像』にすればよかったな!)


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