思ひ
香を焚くには
埋火がいる
― ゲーテ 「穏和なるクセーニエ」 (飛鷹節 訳)―
焼香の鉢の灰の中には小さな炭火が埋まっている。
そこに香を撒けば煙が立ち、香(か)が立つ。
香を焚くには
埋火がいる
たしかにその通りだ。
火がなければ香は焚けない。
炎としてではなく、香としてそれが匂い立つためには、そこに静かな埋火(うずみび)が要る。
かつて、引用の句を読んだ時、わたしはここにある「埋火」を、たとえば、人の中にある《持続する志》、あるいは《より善きものになろうとする思い》といったような意味で取っていた。
そして、たぶんゲーテもまた、そのような意味で書いていたのだと思う。
何かに出合った時、そこに埋火のように、見えないけれどもたしかに燃え続けている何ものか、が心の中になければ、けっしてそれは《香り》として立ちのぼって来ないのだ、と。
だからこそ、そんな《志》あるいは《思い》をわたしたちは持ち続けなければならないのだ、と。
けれども、ここに述べられた「香」と「埋火」の位置は、実は逆転したものとしてもとらえることもできるのではないか。
そんなことを今思っている。
先日『永山則夫 100時間の告白』という番組を再放送で夜遅くにもう一度観終えたあと、布団の中で、なぜ自分の心はこの番組にこんなにもざわつくのだろう、と考えていた。
《おたより》欄に書いたから、読者諸兄諸姉の中にもご覧になられた方もおられるだろうからあえて言うまでもないことかもしれないが、あの番組が語るものはとてつもなく重いものだ。
だから、そこにある「質量」によってわたしの心もまた波立つのだ、と考えれば、ことは簡単である。
けれども、短期間に二度まで見て、その内容を知っていながら、二度目もまた、まるでそれを初めて見るかのようにざわつくわたしの心とはいったい何なのだろう、と思ってしまうのだ。
たとえば途中で挿入されるドキュメンタリー映画「略称 連続射殺魔」からの映像がある。
昭和40年代半ばの東京の映像。(映画の製作は1971年であるという)
渋谷のフルーツ店の店先。
牛乳配達をする青年。
一方同じ40年代でありながら30年代のようにしか思えない青森・板柳の、かつて少年永山則夫が過ごした町の風景や家の写真。
家にあった漬物石が置かれただけの墓。
網走の帽子岩の見える海岸。
あるいは永山則夫自身の写真。
つぶらな瞳の幼少時代の写真。
瞼を伏せた逮捕後の写真。
そして、精神科医との最後の対話の後に撮られた少し笑った写真。
それらにかぶさるテープに録られた永山の声。
母親の声。
それらの一つ一つにわたしの心は波立つ。
何の先入観もなく番組を見た知人の奥さんは「少し怖かった」と感想を述べたそうだ。
そうだろうと思う。
「怖い」のだ。
うまく口では言えない「得体の知れないもの」に遭遇した時、人は「怖い」と思うものだ。
なにも永山則夫という《連続射殺魔》の心が「怖い」のではない。
「怖い」のは、永山のわずか19年の人生の中に、わたしたちが「この世にあってはならない」と思っていたものが本当の現実としてそこに在ることだ。
それは一言で言えば、こういうことだ。
どうして人はここまで不幸にならなければならないのか!
その「怖さ」が人を立ちすくませるのだ。
知人の奥さんは私より10歳ほど年下に当たるのだろう。
一方わたしと永山の学年差は3年である。
もちろんそれだけだからではないだろうが、わたしには永山の不幸が「得体のしれないもの」とは思えないのだ。
わたしを含めわたしの周りの多くの子どもたちは写真で見る永山とよく似た服を着ていた。
舗装されていない路地、屋根の辺りに看板絵のかかった映画館、それらも見慣れた風景だった。
永山ほどではないにしても、彼とよく似た家庭環境にあった者はそれぞれのクラスに指で数えられるほどはいた。
それは「なつかしさ」と呼ばれるものの向うにたしかにあったあの時代の哀しい匂いだ。
そして、子どもだったわたしもまたまちがいなく永山則夫のとなりに立っていたのだ。
彼の写真を見、彼の声を聞くと、怖さよりもせつなさが、世のもろもろに対する怒りよりも生きることの哀しみがわたしの心をひたす。
それは、あの映像の中にわたしにそう思わせる何ものかがあったというよりも、むしろあの映像によってそのような思いを抱かせる何ものかがわたしの中にずっと埋もれて在った、ということのような気がする。
それはゲーテが言ったことの逆の意味で、
不意に香り立つ《香》が
見えない《埋火》の在り処を知らしめる
といったようなことのように思えてくる。
永山則夫という存在にせつなさを感じることが年代的なものなのか、あるいはわたしに固有のものなのか、それはわからない。
もちろん、それはそんな年代論を超えてわれわれみんなの中に存するものであるのかもしれない。
いずれにしろ、あの番組を見たわたしの中には、いわく言い難い何かが今も微かな香りを立てているように思う。
この文章のはじめの方でわたしはゲーテの言う「埋火」を《志》あるいは《思い》と書いた。
思えば「思い」とは古文では「思ひ」と書かれ、和歌においては常に「火」の縁語として扱われてきたものであった。
今、埋火として隠れていた「思ひ」が静かに熱を帯びてきているのかもしれない。
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