浦島太郎
走馬西来欲到天 馬を走らせて西来(せいらい)天に到らんと欲す
辞家見月両回円 家を辞してより 月の両回円(まどか)なるを見る
今夜不知何処宿 今夜知らず 何れの処にか宿せん
平沙万里絶人煙 平沙万里人煙絶ゆ
( 馬を西へ西へと走らせて、地平の彼方の天に行きつかんばかりである。
戦のために家を出て、もう二回も月がまんまるになるのを見た。
今夜はいったいどこに宿をとろうというのか。
真っ平のこの沙漠はどこまでもどこまでも続き、人家の煙なぞどこにも見えやしない。)
― 岑参 「磧中歌」 ―
もうすぐ母の命日である。
はて、母が亡くなって何年たったのだろう、と考える。
三年だったか、四年だったか・・・・。
よくわからなくなる。
しばらく考えた後、
そうか、四年か
と、確信を持てたのは、葬儀に来てくれていた当時中学三年生だった従兄弟の娘さんが今年大学生になったことを基準に考えたからで、この数字に対して自分の中では何の実感があるわけではない。
これでは、彼女が大学を卒業したら、私は母の年忌をうまく数えられなくなるだろう。
親が亡くなって何年経つのかも忘れて、はてさてなんと親不孝な、という批判は甘んじて受けるにして、そもそも時の経過とはいったいなんだろう、と私は考えてしまう。
実は、人というものは誰ひとり、自分の中に時間の経過を知りうるものを持っていないのではなかろうか。
人には時の経過を認識するための感覚器がそもそも存在してはいない。
時の経過とは、ただ周囲の事物の変化によってのみ、はじめて人にはわかるようにできている。
もちろん、「変化」を認知は「記憶」を前提としている。
だから、人に時の観念を与えたものは人の記憶だろう。
記憶のそれと今のこれの違いをもたらすものを「時」と名付けたけれど、それを直接認知するセンサーを持たない人間は、太陽の運行、月の満ち欠け、季節のめぐり、それら規則的と見えるものを基準に時を数え、時に実体があると思いなしたにすぎない。
岑参(しんじん)は「磧中歌」の中で
家を出てからもう二回も満月を見てしまった
と、時の流れを驚き歎いている。
それは人というものが自分の中に、時を感じるセンサーを持たないがゆえの驚きであり嘆きである。
もう今年も半分以上過ぎたのだ、とか、あの震災からもう500日もたったのだなあ、と「あらためて」私たちが驚くのは、私たちが暦によってしか時の経過を知ることができないからだ。
時の経過を自らの中で計り、実感するすべを私たちは持たないのだ。
母がなくなってからの四年という歳月は私の中を流れたのではなく、実は暦の上で流れたにすぎない。
あるいはあの従兄弟の娘さんの上に。
それでやっと、同じ年月が同じように私の上にも流れたのだと思うだけだ。
子を持ったことのない私には想像するしかないが、世の親たちもまた、あれはあの子が何年生のときだった、ということを基準にしか年月の流れを数えられないのではあるまいか。
生長を止めた大人にとって五年前の自分と十年前の自分のどこに区別がつけられよう。
時は自分の中を流れない。
時は常に自分の外部にしか流れない。
だからこそ、人は必ず「あらためて」時の流れに驚くのだ。
来し方を振り返って浦島太郎でない大人がいったいどこにいよう。
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