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グララアガア

 

じつさい象はけいざいだよ。それといふのもオツベルが、頭がよくてえらいためだ。オツベルときたら大したもんさ。

 

  ― 宮澤賢治 「オツベルと象」 ―

 

 
 「オツベルと象」という物語を語っているこの牛飼いが言っている「けいざい」というのは、もちろん漢字で書けば「経済」のことだが、それは「世界経済」とか「日本経済」とか言うときの「経済」ではなく、今風に言えば
  じっさい象っておとくよ
とかいうような、なんだかキモチのワルイ言葉になる。
 この「おとく」というのはおばさん言葉だけれど、世のおじさんたちは同じことをすこしカッコつけて「対費用効率がいい」とか「生産性が高い」なんて言葉で言ったりして、まあだいたいそういうときのおじさんはエラそうな顔をしている。
 象に与えるワラを減らし、けれども仕事だけはどんどん増やしてさせていたオツベルというのはいわば「生産性の向上」を実現したということで、そういう人を世間では「すばらしい経営者」とか呼ぶらしい。
 トヨタの「カンバン方式」とか、正社員をへらし非正規労働者を随時使いこなす、とかいうことなんかは、実はみんなオツベルの真似をしているだけなのだが、オツベルのお話は童話の中だけのことだと思っているから、その行きつく先のことなんて何も考えないで、みんな血眼になってまだ減らせるワラはないかと探している。
 オツベルは最後は壁からどっと落ちてきた象の群れに踏まれてくしゃくしゃに潰れてしまうんだが、オツベルがそうなったのは彼が「けいざい」しか考えていなかったせいだとはおじさんたちは誰も思わないらしい。
 だから、オツベルなら
 「済まないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を汲んでくれ」
とか言うところを、現代のオツベルたちは
 「また円高でたいへんだ」
とか
 「原発が止まったら電力不足で困るんだ」
なんてことを言って顔をしかめてみせている。

 日本というシステムどころか世界というシステムすら、どうやらダメになりつつあるのに、そのことに目をつぶって今までの方式をもっともっと先鋭的にすることによってそれを乗り越えようとしているのはどう見ても阿呆のやることだと私なんぞは思うのだが、「けいざい」の「け」の字も知らない私みたいな人間の思ってることなんかむろん世間では通用しない。
 でもまあ、六〇年も生きてきてわかることは、だいたい「システムの危機」とか「組織の危機」いうものは、そのシステムや組織の持っている方向性が一つしかなくなってしまっているということで、たとえばそれはこの間の原発問題に対する原発にかかわって来た人々の対応の仕方とかEUの右往左往とかいうのも「システムや組織の危機」の代表的なものなんだろう。
 原子力委員会とやらにしても、大飯町や福井県や政府の対応にしても、つまりは「原発は存続すべし」という枠から一歩も出られない物の見方しかできなくなっているところにその危機的状況の原因があるのに、だれもそこからはみ出そうとはしない。
 一人なら、あるいは少人数なら、道をまちがえたと思えば、立ち止まって振りかえり、どこで間違ったかを見直して、その進む方向を変えればいいのだが、組織が或る大きさを越え、事が或る程度まで進むと、そこにいる人々はそれまで進んでいた道をとことん進むしかないような気になってしまうもののようなのだ。

 ところで、世界経済とか日本経済とかいうものの危機も、ひょっとしたら、経済というものが唯一「けいざい」を目指すべきものだとみんなが思い込まされているからではなかろうか。
 きっと「けいざい」を目指さない「経済」もあるはずなのに。
 「おとく」なんて好きじゃなくても人というのはぜんぜん平気で生きていられるものなのに。
 いつの間にかやせ細ってしまって気弱になってしまっているけれど、そう思っている白象がみんなの心の中にも生きているはずなのに。
 だったら、そんな自分の中の白象を救うために、みんな一度
  グララアガア、グララアガア
って声を上げればいいのに。


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