スキップ
笑いを誘う顔の表情は、いわば顔つきのふだんの流動の中に、何かしらこわばって固定したものがあるようにおもわせる表情であろう。
― ベルクソン 「笑い』 (林達夫 訳)―
「ねえ、ねえ、にらめっこしよう」
図書館のまえの草の生えたなだらかな斜面を駈け下りてきた男の子がもう一人の男の子に言う。
おいおい、にらめっこって外でやる遊びなのかい、とニヤニヤしていると、相手もその気になったらしくふたり立ち止まってにらめっこをはじめた。
こっちに顔を向けている子は、ほっぺたをふくらませて両手で目尻を両側に引っ張っている。
あれじゃあ、相手の顔なんて見えないだろう、と思うが、あんなに目を細くしていたその子の方が先に笑った。
そしたら、こっちに背を向けてた子も笑った。
とってもたのしそうだ。
なかよしなんだな。
にらめっこの何がおもしろいのか、もちろん、おじさんにはわからない。
ベルクソンはなにやらむずかしそうに書いているが、そして、にらめっこというのはたしかに顔をこわばらせるんだが、でも、本当は、あれは、相手の顔がおもしろいから笑うんじゃなくて、自分がおもしろい顔をしているのがおもしろくて笑うのかもしれないな。
おもしろい顔が作れた自分がうれしくて笑ってしまうんだ、きっと。
なんて思っていると、その子たち、こんどはふたり並んでスキップをはじめた。
そうかぁ、スキップかぁ。
あれはなかなかむずかしいもんな。
できるとうれしいもんだ。
こう見えて実は私もずいぶん練習した覚えがある。
よく、「うれしくてスキップする」って言うけど、むしろ、私の場合足がちゃんと動いてるかどうかが気になって、かなり緊張してやっていたような記憶があるなあ。
終わって、ほっとしてたりした。
あっちに向かって行ったから顔は見えなかったけど、案外あの子たちも真剣な顔でスキップしてたのかもしれないぞ。
それにしても、スキップってすこし大きくなるとやらなくなるなあ。
なんでかなあ。
自転車に乗ることとか、ボールをちゃんと捕ることとか、もっと複雑な体の動きを身に付けようとしている間にスキップなんて大したことじゃないみたいにおもえてくるのかなあ。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいいな。
あの子たちは自分の体や顔の筋肉が自分の思うように動くのがただ楽しくてしょうがないんだな、きっと。
それは、ほんとうにうれしいことなんだろうな。
おかげで、私までニコニコしてきた。
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