読めるようにした人
電話のすぐあとで手紙が着いた
あなたは電話ではふざけていて
手紙では生真面目だった
〈サバンナに棲む鹿だったらよかったのに〉
唐突に手紙はそう結ばれていた
あくる日の金曜日(気温三十一度C)
地下街の噴水のそばでぼくらは会った
あなたは白いハンドバックをくるくる廻し
ぼくはチャップリンの真似をし
それからふたりでピザを食べた
鹿のことは何ひとつ話さなかった
手紙でしか言えないことがある
そして口をつぐむしかない問いかけも
もし生きつづけようと思ったら
星々と靴ずれのまじりあうこの世では
―谷川俊太郎 「手紙」―
お昼前のNHKのラジオ。
谷川俊太郎さんて「スイミー」の人だよ。
「スイミー」は外国の人が書いたんだけど、それを読めるようにした人だよ。
「今日は谷川俊太郎さんて人が出るから、ラジオ、一緒に聞こう」
とお母さんが言ったら、小学校3年生の子どもが
「あ、谷川俊太郎さんなら知ってる!」
と言って、続けてこう言ったというのである。
「スイミー」というのはレオ・レオニという人の書いたお話(絵本)で、それが小学2年生の教科書に載っているらしい。
それを翻訳したのが谷川俊太郎さん。
それにしても、「訳者」のことを
外国の人が書いたんだけど、それを読めるようにした人
って言えるのは、なんてすてきなんだろう!
なんてまっすぐな言葉だろう!
そうだ、「翻訳する」って「外国の人が書いた本を読めるようにする」ことだ。
ぼくの持ってる辞書の言葉、書き変えないといけないね。
いい言葉、聞いたなと思った。
今日も雨だったけど、おかげで一日愉快な気分だった。
そうだ、ひょっとしたら「詩人」というのも、ぼくらがうまく言えない心や気持ちをぼくらにも「読めるようにしてくれる人」かもしれないね。
そんなこと思いながら、午後、昔買った谷川俊太郎の詩集を開いたら載ってた詩が今日の引用。
ぼくらは〈サバンナの鹿〉じゃなくて言葉でしかわかりあえない人間だから、きっと「詩人」がいるのかもしれないね。
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