10,000時間
桃栗三年
柿八年
達磨は九年
俺は一生
― 武者小路実篤 ―
今日は俊ちゃんと聴君とでマリンスタジアムで野球観戦であった。
こないだ集金にやってきた顔見知りの新聞屋のおじさんが
「野球は好きかね」
と聞くから
「好きだなあ」
とこたえると、集金カバンの中からソフトバンク戦の内野自由席のチケットを3枚くれたのである。
試合開始の1時間ほど前に幕張に着くと、もうたくさんの人が球場を目指して流れている。
マリーンズのユニフォームを着ている人たちもたくさんいる。
見れば、俊ちゃん親子もそうである。
なるほど、さすが千葉県民である。
一塁側なら2階席だが、三塁側なら一階席にも座れるというので、三塁側に行く。
会場整理のお兄さんが空いている席を見つけて案内してくれる。
フェンスから二列目。
目の前でホークスの選手が順番に外野フライを受けてはバックホームを繰り返している。
なるほどなあ、ここにいる選手たちのほとんどは、物心ついてからの起きている時間の半分以上を野球とその練習で過ごしてきたんだろうなあ、と思う。
勉強であれ、仕事であれ、どんなことでもそれに集中する時間が1万時間を超えると
ひとかどのもの
になれるという説をどこかで読んだことがある。
そうかもしれないと思う。
1万時間というのは、1日四時間欠かさずやっても、8年かかる。
柿の木みたいなもんである。
人の命を預かる医者を造る医学部は卒業するのに6年かかり、その後2年くらいインターンの期間があるのも、そうでなければ、ひとかどの医者になれないのだと過去の人間の経験が教えているからだろうと思う。
もちろん運動にも勉強にも素質、というものがあるだろうが、たぶん人の素質の第一のものは
それが好き!
ということだろう。
もちろんこのグランドに立っている人間がボールを追いかけた時間は1万時間を優に超えているだろう。
しかし、皆、こうやってボールを捕ったり投げたりすることが愉しくてならないのだ。
「好きこそ物の上手なれ」は何事にだって当てはまる。
素質とはたぶんそのことを「本当に好き」になる能力のことだ。
どこかの芸人がマラソンやらボクシングやらでオリンピックに出る出ないという話がある。
カンボジア国籍で出るというのは何のことやらわけもわかないが、ほんの2,3年の練習で、もしオリンピックに出られるとしたら、女子のボクシングなどというその競技そのものが、そもそも一流の競技ではない、ということだろうと思う。
試合は4―3でロッテの勝ち。
ソフトバンクのセンターの福田という選手のそれはそれは見事なファインプレーもあり(観客席はどよめき、ロッテファンも大拍手だった!)、実におもしろかった。
心地よい風の吹く初夏の球場で飲むビールがうまかったことは言うまでもない!
そう言えば、去年の阪神戦であった国歌斉唱なんてのがなかったのもよかった!!
ところで、券が3枚あるからはじめは飯塚君も誘ったのだが、彼曰く
「残念!
その日は私、野球の試合があるんですよ。
観戦ではなくプレーの方が」
うーん、彼の野球にかけた時間も、そろそろ1万時間になりそうなんだが・・・・。
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