凱風舎
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抵抗

 

  市役所の脇の道を歩いているとき、後ろから鋭い声がしたかと思うと一羽のヒヨドリが私の上を飛んで行った。
 見上げるとその鳥は翼をぴったりと体側に付け、文字通り「弾丸のよう」だった。
 それは実に感嘆すべき美しい姿だった。

 ああ、あれは誰の言葉だったか、こんな言葉があった。

 

 鳥たちは飛ぶとき、その抵抗の大きさから、この空気さえなければもっと速く跳べるのにと思うだろう。けれども、彼らはしらないのだ。この空気に抵抗がなければ、彼らは羽ばたいて飛ぶことさえできない。

 

 ハマーショルドだったか、ヴェイユだったか、それともカントだったか、本当は、もっと締まったいい文章だったはずなのだが、心当たりの本を開いてみたが、どこにもその文章は見つからなかった。
 しかし、誰の言葉であれ、この言葉は正しい。
 それはむろん鳥に限ったことではない。

 小学校三年生の時、はじめて理科で「摩擦」や「抵抗」という言葉を習った。
 「もし、摩擦や抵抗やがなかったらどうなるでしょう?」
 先生に問われて、泉屋君が答えた。
 「マッチで火が付けられん」
 なあるほどと思った。
 丹羽君が言った。
 「歩けん」

 びっくりした。
 そうか、ぼくらは歩けないのか、と思った。
 《摩擦》や《抵抗》とはスゴイものだと思った。

 たぶん、私たちがつらいと思い、障害と思い、困難と思い、あるいはストレスと言っていたものが、実は私たちを歩かせてきたのだ。
 あることが終わって振り返ってみたとき、何が自分を歩かせて来たのかがつくづくとわかる。
 けれども、そのさなかにあるとき、私たちはそのことについつい気づかずにいるのだ。

 原発の「ストレス・テスト」というものがどんなものか私は知らない。
 けれど、本当は今私たちは、豊かな電力供給に慣れた自分たちが原発なしでもやって行けるか、という「ストレス・テスト」を自分たちが受けているのだと思うべきなのだ。
 私たちが「ちょっとしんどいかも」と思うそのことこそが私たちをまた新しい場所へと歩ませてくれるのだ。 


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