段々畠
食物を自給するための平地がとぼしいためにこうした所を段々畠にしているのですが、こうした傾斜を段々畑にしたのは、一つの畑の肥料をにがさないため、いまひとつは山の荒れをふせぐためだったのです。砂質の傾斜地を木を伐って荒らしておくと、そこは風雨のためにドンドン砂が流されて、大きな溝ができたり、山くずれがしたりします。しかし、段々にしておくとそういうことが少ないのです。ですから川などでも、砂や石ころの多い谷川には、石垣をきずいて、滝がつくってあるのをよく見かけます。
― 宮本常一 『日本の村』 ―
ひさしぶりに誰も来ない日曜日、本棚にあった宮本常一の『日本の村・海をひらいた人々』という子供向けに書いた本を読み返していました。
その中に今日の引用のような言葉ありました。
ああ、段々畠か、と思いました。
傾斜地を段々にすれば土地の荒れ方も少なく、肥料もあまり流されない(ことを知らない)ずっと古い昔には、傾斜は傾斜のままで畠にしました。そのために、土地はたいへん荒れやすかったから、ひらいてからニ、三年も作物をつくると、またもとの山にかえてしまいました。
これらの文章を読みながら、私ははたして「段々」をつくってきたろうか、と思いました。
あの震災からもうすぐ一年になります。
この一年、私たちは自分たちの思考や行動のもとになる日々の出来事をちゃんととどめる手段を講じてきたろうかと思いました。
私たちの時代の傾斜はますます急になっています。
わずか一週間前のことですら溢れる情報に流され、私たちの記憶から消えていきます。
もし、私たちがそこに段々をつくることを怠るなら、私たちの思考の「肥え」は流され、思考や感情すら「自給」することができなくなります。
やがて私たちは、他から流される「思考」を思考し、他人が感情する「感情」を感情することをあたりまえと思うようになります。
段々畠の話のはじめに宮本はこんなことも書いています。
瀬戸内海の西のほうの島々には石をつみかさねないで、粘土をかためてつみあげたものもあります。広島から呉までのあいだの汽車の窓から見る段々畠はこうしたものが多く、それがまたキチンとしていていかにも美しいのです。そしてその下に、瓦葺きのあまり大きくはないが、清潔な感じのする百姓家がかたまっています。つつましくきれいずきなこのあたりの人たちの気持をそのままあらわしているのです。
すくなくとも、ひょっとしたら私にとってのたった一つの「段々畠」であるのかもしれないこの「通信」の手入れだけは、欠かさずにいようと思いました。
私が「つつましくきれいずき」とはとても思えませんが、できればキチンとした畠だけはつくっていこうと思いました。
そうすればその下に、ひょっとしたら「あまり大きくはないが、清潔な感じする百姓家」ができてくるかもしれません。
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