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轍(わだち)しか持たない乳母車

 

 狂人の真似とて大路を走らば、すなはち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。

 

   ― 吉田兼好 『徒然草』 第八十五段 (木藤才蔵 校注)―

 

  恒十絲 「佯狂のあとで」 を観る 》

 

 身体とは活動のことである。
 身体があらゆる活動を止め、地べたに横たわるとき、身体は「もの」に変わる。
 ただの「もの」としてだけある身体は、生きているわれわれには異様のものである。
 それが目の前にある。
 幾体も幾体も、為すすべなく打ち捨てられ、ただ横たわるだけの身体が目の前にある。
 先ほどまで身ぶりし、先ほどまで声を発していた身体が、ただそこにあるだけの「もの」に変わってそこにある。
 身体が、ただの「存在」としてしか存在しないものに変わってそこにある。

 動かぬ身体の間を爪先だち動きはじめるものがある。
 蠢きはじめるものがある。
 先ほどまで片隅の椅子に膝を抱え座っていたものが、横たわる身体の間を、ときとして髪ふりみだし跳梁し、ときとして髪を垂らしてうずくまり、やがてその表情を持たぬ顔を私たちに向ける。
 われわれの祖先が「鬼」と名付けたもの。
 表情を持たぬゆえ、その心を読み取れぬもの。
 羅生門の楼の上で女の髪を抜くもの。
 だが、あの老婆は、誰のための「かづら」にしようとして、もはや誰からも忘れ去られてしまった若い女の髪をひたすら抜いているのか。

 動かぬ身体の向うに立っている男がいる。
 傲然と腕を組み、動かぬ身体たちを見下ろし、跳びはねる「鬼」をも見下ろし、立っている男がいる。
 彼は倒れない。
 彼だけが倒れない。
 彼はいつも立っている。
 彼は立って見下ろしている。
 死者たちと「鬼」とを見下ろして

  「では、己(おれ)が引剥ぎをしようと恨むまいな」

 あのときそう言うた下人がここに立っている。
 うすら笑いを浮かべながら。
 だが、畏怖を嗤い、感傷を嘲り、生きてあることを唯一の足場に立っている者とは、誰のことか。

 ヒトの羊と書いて「佯」といい、ケモノの王と書いて「狂」という。
 「佯」とはあざむくことである、ふりをする者である。
 「狂」とは気ちがいのことである、常軌を外れた行為する者である。
 そして「佯狂」と書いて「気ちがいのふりをするもの」を指す。
 兼好によれば、狂人の真似をするものは狂人である。
 ならば「佯狂」とは、その実、狂人そのものの謂である。
 はて、羊のようなヒトとは誰のことか。
 ケモノの王のふりをするものとは誰のことか。

 今年も恒十絲の劇を観に横浜・戸塚に行く。
 貞昌院の本堂にしつらえられた舞台に「佯狂」の者たちが集い、動き、おらび、呻き、横たわる。 
 彼らは役者として、その舞台で恋人のふりでもなく、家族のふりでもなく、友人のふりでもなく、ただただ気ちがいのふりをする。
 なぜ、そうしなければならないのか。
 己らの異様をことさらに際立たせて、彼らは何を撃とうとしているのか。
 
 
 われわれが異様と感ずるものとは、本来のあるべきさまを失ったものである。
 それは場にそぐわぬものとしてわれわれには意識される。
 それの出現は、われわれがそれまで当り前のこととして受け入れてきたことたちを一挙に異化する。
 が、現れたとたん、それは「現実」から排除される。
 排除され、隔離され、処理され、なかったことにされる。

 けれども、そうされなかった物たちがいる。
 いかに排除しようとしても、排除しきれぬ物たちがいる。
 今も東北に「ガレキ」として置き去りにされ、積み上げられた物たちがある。
 それらは本来あるべき場所から根こそぎにされ、本来あるべき形を失い、本来あるべき働きを失った物たちの集積である。
 陸に上がった船、屋上に止まった車、中央分離帯に横倒しになった看板。土台を失った柱、ガラスを失った窓枠、何も映さぬテレビ、子どもらの声のしない学校・・・・・。
 しかし、それらには行く場所がない。

 スクリーンに映像が流れる。
 行き場を喪くしたそれら「ガレキ」と呼ばれる物たちの前を、一列の黒い者たちが、ふしぎに規則正しく、手を振り足を上げて通り過ぎる。
 佯狂の者たち。

 昔、日本には百鬼夜行した闇があった。
 夜行する百鬼とは「もののけ」であった。
 「もののけ」とは「物の怪」のことであり、人々が使い、今は使われなくなった物たちに宿った魂が夜な夜な歩いたのだ。
 かつて人々は「針供養」をした。
 「筆塚」をつくった。
 不要になったが捨てられぬ物たちを「どんと焼き」の火で燃やした。
 人々は物にも魂が宿ることを知っていた。
 人々はそれを祀った。
 祀らねばならぬことを知っていた。

 だが、いまの日本で誰があの「ガレキ」たちを供養したか。
 誰が供養してそれら物たちの魂鎮めをしたか。
 死者たちを悼み、復興を誓い、けれども、誰があのうち捨てられた物たちの魂のことを思ったか。

 今、朔北の岩こごし深山(ふかやま)を吹き下りてきた冷たい風にさらされ、夜行することもかなわぬそれらガレキと廃墟の前を佯狂者の一団は通り過ぎる。
 それは、夜行できぬ物の怪の代わりに列を組んで行く百鬼だ。
 あれら物言わぬ「ガレキ」たちの前でそうすべきことを今の日本で恒氏だけが知っていた。
 (あのスゴイ映像をみんなにも本当に見てもらいたいと思う!)

 だが今回の恒氏のセリフは混乱している。
 混乱したまま投げだされる。
 彼はそれをまとめることを拒否されているのだ。
 辻褄を合せることを拒まれているのだ。
 何にか。
 それは、彼が目のあたりにした東北の現実に、だ。
 彼は、混乱を混乱のまま、混沌を混沌のままにわれわれの前にセリフとして投げだす。
 辻褄の合わないことこそが狂人の徴なら、そうであることを厭わずそのままさらけ出そうとする。
 「佯狂」とはそういうことではないか。

 そうやって、一つ一つは力あるセリフを、脈絡を超えて、彼は役者に語らせる。
 たとえば
  残っているのは
  轍ばかりの乳母車だ
と。

 活動を止めた身体は「もの」である。
 われわれは、だが、この身体を持ってしか生きられない。
 そして、われわれは、この身体をもって自ら動くことを「生」と呼んで怪しまない。
 けれども、本当にわれわれの生とは自分の意志で動いていることなのか。
 われわれは、ただ、誰かに押されなければ動くこともならぬ乳母車に乗っているだけではないのか。
 そしてわれわれが、自らの人生だと呼んでいるものとは、まさにその乳母車がつけてきた轍のことをさすのではないか。
 われわれに最後に残るものは乳母車ではなく、轍だ。
 それがいつかは消えてあとかたもなくなるものであろうとも、轍として刻まれたものこそがわれわれの人生だ。 

 年を取った私の地面はもう硬い。
 けれども、その硬い地面にさえ、今回の恒十絲氏の劇は深い轍を彫り付けた様な気がする。

 帰り、貞昌院の黒々とした裏山の上の空には心地よいばかりに高々とオリオンとシリウスが輝いていた。
 こんなにも広々とした気持ちで星を見上げたのはひさしぶりだと思った。
 よい芝居を観たと思った。


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